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四半世紀の二足のわらじを脱ぐ日を前に
会社を辞めるまで、もうあと10日ほどになりました。
夏休みなどもあるので、仕事をするという意味での出社は明日限りです。
とはいえ、なんだか実感はわきませんね。
机の整理などもしていますが、普通の業務もこなしているので、昨日の続きの仕事をしている感じがあります。
これが定年で辞めるのならば、もう少し収束感があるのでしょうか。
大学を卒業してそのまま就職したので、28年と5ヶ月弱。こうして数字にしてみると、随分長い間勤めたものだなとも思います。
劇団☆新感線の脚本を書き始めたのは25歳の時なので、会社員と芝居の台本書きの二足のわらじを履いてからも、もう25年以上。
その間に結婚して子供が出来てと、人並みの暮らしを送りながらここまで続けてきたわけです。
よく「大変だったでしょう」と言われるのですが、僕自身はよくわかりません。
まあ、大変といえば大変だけど、世の中にはもっと大変な仕事をしている人はいると思っています。
出版社の仕事も台本書きも好きでやってきたので、もちろんしんどいこともあったけど、総じて面白がってやれる仕事の方が多かった。
これも僕が入ったのが双葉社という会社だったからかもしれません。
古き良き出版社の香りを残しているというのでしょうか、かなり個人の裁量が効く会社でした。僕のような存在を喜んでくれた。
もちろん、上司や同僚達に恵まれたというのが大事です。例えば岸田戯曲賞をもらった時に、その時の社長が喜んで、社長賞として金一封をだしてくれたりした。出版社にはそういう人間がいた方が面白いんだという考えだったようです。この時などは、しみじみと「いい会社だなあ」と思った記憶があります。
これが集英社とか小学館とか講談社とか、大手の出版社に入っていたら、ここまで続けられなかった気がします。もっと早い段階で、編集者か物書きかどちらかを選ばなければならなかったのではないでしょうか。
実際振り返ってみれば、何度か会社をやめようかと思ったこともあります。その時の職場の仕事に煮詰まったり、人間関係に悩んだり。ところが面白いことに、そういう時期に決まって異動があり、新しい職場の仕事が面白くなった。会社の仕事をこれだけ長い間続けて来られたのは、それが面白かったからです。
状況に恵まれたのでしょう。
周りにも迷惑はかけていると思います。
それでも28年間やってこられた。
劇作家としても、最近は非常に多くのお客さんに観てもらっている。
ただの自慢話に聞こえそうなので、こういう話は今まであまりしてこなかったのですが、あるブログを読んでちょっと気持ちが変わりました。
福岡で地域演劇に関わる活動をなさっている高崎大志さんのブログで、僕のことが書かれていました。高崎さんは、福岡・九州の地域舞台芸術を支援するNPO法人FPAPの事務局長も務めている関係で、九州戯曲賞の時に知り合いました。
彼のブログには、僕のように長期でサラリーマンと劇作家を両立させることが、劇作家を成立させる一つのスタイルを示しているのではないかという意見が書かれていました。 つまり「いかにして芝居を書きながら飯を食うか」に関しての一つの成功例だと言いたいのでしょう。
考えてみればその通りです。
確かに芝居ではなかなか飯は食えません。
生活に追われて夢半ばで芝居の道をあきらめる人も、それなりにいるでしょう。
ただ、劇作家だけに専念すれば、僕のように25年間続けることも出来る。
そういう例があるのだということで、他の劇作家志望の方に刺激になるのであれば、もう少し、世間にアピールしてもいいのかもしれません。
今まではそういう風に考えたことはなかった。
自分の生活サイクルなど語ることが参考になるなら、もう少し語ってもいいのかもしれない。
今はそんな風に思っています。
夏休みなどもあるので、仕事をするという意味での出社は明日限りです。
とはいえ、なんだか実感はわきませんね。
机の整理などもしていますが、普通の業務もこなしているので、昨日の続きの仕事をしている感じがあります。
これが定年で辞めるのならば、もう少し収束感があるのでしょうか。
大学を卒業してそのまま就職したので、28年と5ヶ月弱。こうして数字にしてみると、随分長い間勤めたものだなとも思います。
劇団☆新感線の脚本を書き始めたのは25歳の時なので、会社員と芝居の台本書きの二足のわらじを履いてからも、もう25年以上。
その間に結婚して子供が出来てと、人並みの暮らしを送りながらここまで続けてきたわけです。
よく「大変だったでしょう」と言われるのですが、僕自身はよくわかりません。
まあ、大変といえば大変だけど、世の中にはもっと大変な仕事をしている人はいると思っています。
出版社の仕事も台本書きも好きでやってきたので、もちろんしんどいこともあったけど、総じて面白がってやれる仕事の方が多かった。
これも僕が入ったのが双葉社という会社だったからかもしれません。
古き良き出版社の香りを残しているというのでしょうか、かなり個人の裁量が効く会社でした。僕のような存在を喜んでくれた。
もちろん、上司や同僚達に恵まれたというのが大事です。例えば岸田戯曲賞をもらった時に、その時の社長が喜んで、社長賞として金一封をだしてくれたりした。出版社にはそういう人間がいた方が面白いんだという考えだったようです。この時などは、しみじみと「いい会社だなあ」と思った記憶があります。
これが集英社とか小学館とか講談社とか、大手の出版社に入っていたら、ここまで続けられなかった気がします。もっと早い段階で、編集者か物書きかどちらかを選ばなければならなかったのではないでしょうか。
実際振り返ってみれば、何度か会社をやめようかと思ったこともあります。その時の職場の仕事に煮詰まったり、人間関係に悩んだり。ところが面白いことに、そういう時期に決まって異動があり、新しい職場の仕事が面白くなった。会社の仕事をこれだけ長い間続けて来られたのは、それが面白かったからです。
状況に恵まれたのでしょう。
周りにも迷惑はかけていると思います。
それでも28年間やってこられた。
劇作家としても、最近は非常に多くのお客さんに観てもらっている。
ただの自慢話に聞こえそうなので、こういう話は今まであまりしてこなかったのですが、あるブログを読んでちょっと気持ちが変わりました。
福岡で地域演劇に関わる活動をなさっている高崎大志さんのブログで、僕のことが書かれていました。高崎さんは、福岡・九州の地域舞台芸術を支援するNPO法人FPAPの事務局長も務めている関係で、九州戯曲賞の時に知り合いました。
彼のブログには、僕のように長期でサラリーマンと劇作家を両立させることが、劇作家を成立させる一つのスタイルを示しているのではないかという意見が書かれていました。 つまり「いかにして芝居を書きながら飯を食うか」に関しての一つの成功例だと言いたいのでしょう。
考えてみればその通りです。
確かに芝居ではなかなか飯は食えません。
生活に追われて夢半ばで芝居の道をあきらめる人も、それなりにいるでしょう。
ただ、劇作家だけに専念すれば、僕のように25年間続けることも出来る。
そういう例があるのだということで、他の劇作家志望の方に刺激になるのであれば、もう少し、世間にアピールしてもいいのかもしれません。
今まではそういう風に考えたことはなかった。
自分の生活サイクルなど語ることが参考になるなら、もう少し語ってもいいのかもしれない。
今はそんな風に思っています。

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