特ダネ記者魂

2009年09月15日

控室の交換を拒否/日本の伝統棄てた自民党の見苦しい姿

[田岡俊次の特ダネ記者魂]

自民党が衆議院の議員控室の入れ替えを拒み、9月1日に民主党が求めて以来1週間以上たっても応じないという話には呆れるほかない。長年最大党派だった自民党は議事堂の正面側に1428平方メートルの控室を確保し、民主党は裏側の610平方メートルの部屋を使っていたが、与野党が逆転し、民主党議員が308人、自民党は119人となったから、部屋を交換してほしい、というのは客観的に見て当然だろう。

自民党は「居住権」まで持ち出して抵抗したというが、居住権は賃貸借契約に伴うもので、家賃不要の議会控室でこれを主張するのはまことに見苦しい。選挙で大敗し、1・5大政党時代になってもその現実から目をそむけ、与党時代の思い出のこもる部屋を去りたくない、という未練がましい姿をさらしては、自民党の再興は遠のくばかりだ。

元禄14年(1701年)3月、赤穂藩主の浅野長矩が江戸城内で吉良義央に斬り付けて切腹、改易となった際、家老の大石良雄は幕府の目付や近隣の脇坂安照ら大名の部隊が赤穂城を接収に来る前、藩論を開城にまとめてから約1週間で城内を完全に掃除し、道路も補修、帳簿類を整頓、備品の武器も整備しただけでなく、藩札(藩が発行した紙幣)を6割相当の銀貨と交換し、次の藩主や領民に迷惑が及ばないようにした。目付の旗本、荒木十左衛門らは完璧な引き渡し準備に感動し、長矩の弟により浅野家を再興しようとする運動に協力を約束した。

この大石の願いは成功せず、翌年12月赤穂浪士46人は吉良邸を襲い義央を殺したが、江戸の世論は大石らに極めて同情的だった。赤穂城明け渡しの際の見事な振る舞いが城中で評判になっていたことがその背景にあった。これは日本人の規範となり、明治維新の際にも南北江戸町奉行所を接収した土佐藩士が民政、裁判、捜査の記録、帳簿、証書、残金などの完全な引き継ぎに感嘆し、即座に与力、同心らを再任用した、などの逸話が残る。難局にこそ人や組織の品性、能力が表れる。日本の伝統的価値観を捨てた自民党は今後何を拠とする気だろうか。

田岡俊次 , 自民党 , 議員控室

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