特ダネ記者魂

2009年11月10日

ベルリンの壁崩壊/外務省は予測せず分析能力に欠陥

[田岡俊次の特ダネ記者魂]

今から丁度20年前の1989年11月9日、東ドイツ政府は自国民の国外旅行と移住の自由を認め、西ドイツとの国境を開放した。翌日から東西ベルリンを隔てていた壁の取り壊しを東独政府が始めると、市民も作業に参加し、お祭り騒ぎとなった。壁の崩壊は東西冷戦が終了、ドイツは統一に向かう世界史の転換点だった。ところがその直前、在東独日本大使館から外務省への報告は「東独政府は基本的に安定。大きな変化はない」とし、外務省のどこを探してもベルリンの壁崩壊を予測した文書はなかったことを元外務省国際情報局長の孫崎享氏が近著『情報と外交』(PHP研究所刊)で暴露している。

アエラはその2カ月以上前、89年9月5日号(発売はその1週間前)で「ヤルタ体制(ソ連の東欧支配)が崩壊する」との特集記事を掲載し、9月26日号では東独国民がハンガリー、チェコ経由で大挙西独に脱出している状況を「穴があいた鉄のカーテン」と報じ、10月24日号では「東西ドイツ再統一へ始動」の題で5ページの記事を出していた。東独では親ソ連のホーネッカー国家評議会議長が10月18日退陣し、後任のクレンツ議長は改革派だったし、ソ連自身が6月に西独との共同声明で「諸民族の自決権」を認め、5月にはハンガリーがオーストリアとの国境の鉄条網を撤去して、東独人の脱出を黙認していたのだから、ベルリンの壁は無意味となっていた。その情勢の中で「大きな変化はない」と見た日本大使の無能は信じ難い程だ。自身が役人だけに、誰が何を言おうと駐在国政府の公式見解が正解だ、と信じたのだろう。

孫崎氏はイラク戦争前「(米国の)軍事行動後のイラクの政治状況の安定性が懸念される」との正確な見通しを参院外交防衛委員会で述べていたが、当時米国情報を鵜呑みにしてイラクの大量破壊兵器の保持、アルカイダとの結びつきを強調した人々が淘汰されず、情報・安全保障の専門家として地位を確立している不思議さを著書で語る。従属外交を脱するために政府はまず情勢分析の客観性を確保する必要があるだろう。

ドイツ , ベルリン , 外務省

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