特ダネ記者魂

2010年01月12日

もう一つのマボロシ/故・佐藤首相の「武器輸出三原則」

[田岡俊次の特ダネ記者魂]

故佐藤栄作首相が1969年にニクソン米大統領に対し、有事の際の日本への核持ち込みを認めた密約文書が遺族により公表された。沖縄の核抜き返還を達成するため、やむをえない妥協と私も考えるが、同首相がその後も国会で「非核三原則堅持」を強調し、それが一因でノーベル平和賞を受けたことはいかがかと思わざるをえない。

佐藤氏は「武器輸出三原則」でも知られる。67年4月21日の衆議院決算委員会で(1)共産圏諸国(2)国連の武器禁輸対象国(3)紛争当事国、に武器を輸出しない三原則を表明したとされている。だが国会議事録によれば、佐藤氏は社会党の華山親義氏の質問に対し「自衛力整備のために使われるものならば(輸出も)差し支えないのではないか。輸出貿易管理令で特に制限をして、こういう場合は送ってはならないという場合があります」と既存の3種の規制対象地域を挙げている。華山議員は「いま大臣の言われるようなことは私も知っている」と厳しい規制を求めたが、佐藤氏は防衛用の武器の国産は良いことで、外国が輸出を求めれば断ることはない、との輸出擁護の答弁を繰り返した。翌朝の朝日新聞の見出しは「武器の輸出あり得る。首相、衆院決算委で発言」となっていて、これが正確だ。

野党議員も知っていた従来の規制を説明しただけなのに、なぜ後に「武器輸出三原則を表明」として定着したのか不思議だ。76年に三木内閣はこの三原則を強化するとして「三原則地域以外の地域にも武器、製造設備の輸出を慎む」との政府統一見解を出した。これは佐藤氏の答弁とは方向性が逆だった。当時の通産省にとっては総輸出額に比し微々たる武器輸出を許し、国会などで非難されては面倒、なるべく許可したくない。だが産業界と対立するのも嫌だから、あたかも「武器輸出三原則」が故佐藤首相の遺志であり、政府統一見解がその延長線上にあるかのように称し、故人の御威光を借りようとしたのが、この神話の起源ではあるまいか、と考える。

歴史は当局者の都合で作られ、記者や学者の安易な孫引きにより定着することを、佐藤首相の二つの「三原則」は示している。

佐藤栄作 , 武器輸出三原則 , 田岡俊次

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