白髪抜き屋
わたしはお金を割合好きだ。少なくとも、あれば嬉しい。当たり前だが。
子どものころは、お金で動いたものである。
正確を期するなら、お金か、お菓子か、漫画である。それらをちらつかせられたら、親のいうことは大抵聞いた。
母の白髪を2本1円で抜いていた。最初は1本あたり10円の契約だった。母の白髪の量が増えたのと、わたしの技術が向上した結果、ダンピングが起こったのだった。
道具は、とげ抜き(ピンセット)と、つやつやとした黒い小箱の蓋である。
抜いた白髪は、黒い小箱の蓋になるべく整然と並べることになっていた。そうすれば、のちのち揉めなくて済む。たとえ、わたしが100本抜いたとしても、本数を確認した母が98本しかないではないかといえば、後者が採用される決まりだった。
毛根まで抜かない白髪は小箱の蓋への密着力が弱く、いつのまにかどこかに飛んでいってしまう。そんな「途中で切れた」白髪は勘定に入れないと母がいった。わたしも同感だった。毛根まで抜いてこその白髪抜きだ。根元ぎりぎりで切るほうが白髪のためには実はよい、ということをわたしたち親子は知らなかった。
わたしは、わたしのなかでは、とげ抜きとともに生きる覚悟を決めた、腕っこきの白髪抜き屋だった。
真っ白くて、ぴんとしていて、「白髪でございます」と挨拶しているふうなブツには興味を持てなかった。母の白髪はこめかみあたりに集中していて、そこを攻めたらぼろ儲けになるのは分かっていたが、それをよしとしなかった。
いや、たまには抜いた。しかし、忸怩たる思いがそのたび湧いた。本数稼ぎのような気がしたからだ。
わたしが狙ったのは、頼りないほど細くて短いやつだった。探すにも、抜くにも、困難を要するやつだ。そいつを愛用のとげ抜きで毛根ごとひっこ抜き、小箱の蓋になすり付ける。そのときの達成感といったら!ただし、値段はほかの白髪と同じだが。
しかし、それこそがわたしの喜びだった。
この喜びを誰かと共有したいとは思わなかったし、発表したいとも思わなかった。見事なできばえを連発する希有な白髪抜き屋だと自負していたが、べつに他人に気づかれなくてもよかった。わたしは、ただ、白髪抜き屋として、自分に恥ずかしくない仕事をするだけなのだ。なかなかストイックだ。しかし。
「こんなんじゃなくて、もっと目立つのを抜いてちょうだい」
客から苦情を再三申し入れられ、真っ白くて太いのや、こめかみ密集地帯のもわりと積極的に抜くようになった。それをやれば客は喜ぶ。客が喜べば、わたしも嬉しい。白髪が目立たない頭を客は望んでいるのである。
そこでわたしは「誰でも分かる白髪」と「分かりづらい白髪」との配分に気を遣い始めた。客の満足と、自分の満足とに折り合いをつけたくなった。わたしは9歳か10歳だったが、それこそがプロの白髪抜き屋だと信じた。些少とはいえ、報酬を得ている。プロという認識はあながち間違っていない。
さて、わたしは現在、おもに小説を商っている。子どものころの言い方になぞらえれば、小説書き屋だ。
月々に頂戴する原稿料は、平均すると30万を切る。そこから社会保険料だの国保だのなんだかんだを支払うから、実入りは半分以下になる。
印税は、ちょっぴりだけど親にあげたり、上京する際の旅費に充てたりしている。旅費は出版社が持ってくれるケースもあるが、だいたいは自費でまかなう。今年初めて手にした増刷分は、あぶく銭ととらえ、ぱあっと使うことにした。
我が家の経済は相変わらずオットに依っている。わたしが財布をひらくのは、夕食のしたくができないときに取る出前代くらいのものだ。
はっきりいって、わたしが小説書き屋をやっているのは、お金のためでも生活のためでもない。
これはわたしの最大のコンプレックスだ。
だって、困窮した暮らしのなかで小説を書くひとのほうが本物、という考え方があるではないか。小説を書いているせいで暮らし向きがかたむいていく場合も然りだ。実際、そういう、なんというか、「それでも」小説を書きつづけるひとたちの話を聞くと、敵わないと素直に思う。
だからといって、わたしはいまの生活を打ち捨てようとは思わない。安定した暮らしと理解あるオットにめぐまれているわたしだって、ある意味「それでも」書いているひとだといえなくもない。ぬるいけどな。ちっちゃいし。
しかし、白状すると、わたしはそもそも小説を書くことと、その対価としていくばくかの報酬を得ることとの関係性がもうひとつ分からない。上手に結びつけられない。
そりゃあお金は割合好きだし、あれば嬉しい。生活もゆたかになる。たくさん稼いで、もしもオットが勤め先で我慢できないことがあったら、おまえひとりくらいオレが面倒をみてやる、と胸のひとつも叩けるようになりたいと思う。いや、思っているだけですけどね。しかも、うっすらと。
とはいえ、わたしも、どんなにタフな環境で小説を書いているひとも、書いているときは、書いているものしか考えていないんじゃないかな。そうだったらいいなあ。
子どものころは、お金で動いたものである。
正確を期するなら、お金か、お菓子か、漫画である。それらをちらつかせられたら、親のいうことは大抵聞いた。
母の白髪を2本1円で抜いていた。最初は1本あたり10円の契約だった。母の白髪の量が増えたのと、わたしの技術が向上した結果、ダンピングが起こったのだった。
道具は、とげ抜き(ピンセット)と、つやつやとした黒い小箱の蓋である。
抜いた白髪は、黒い小箱の蓋になるべく整然と並べることになっていた。そうすれば、のちのち揉めなくて済む。たとえ、わたしが100本抜いたとしても、本数を確認した母が98本しかないではないかといえば、後者が採用される決まりだった。
毛根まで抜かない白髪は小箱の蓋への密着力が弱く、いつのまにかどこかに飛んでいってしまう。そんな「途中で切れた」白髪は勘定に入れないと母がいった。わたしも同感だった。毛根まで抜いてこその白髪抜きだ。根元ぎりぎりで切るほうが白髪のためには実はよい、ということをわたしたち親子は知らなかった。
わたしは、わたしのなかでは、とげ抜きとともに生きる覚悟を決めた、腕っこきの白髪抜き屋だった。
真っ白くて、ぴんとしていて、「白髪でございます」と挨拶しているふうなブツには興味を持てなかった。母の白髪はこめかみあたりに集中していて、そこを攻めたらぼろ儲けになるのは分かっていたが、それをよしとしなかった。
いや、たまには抜いた。しかし、忸怩たる思いがそのたび湧いた。本数稼ぎのような気がしたからだ。
わたしが狙ったのは、頼りないほど細くて短いやつだった。探すにも、抜くにも、困難を要するやつだ。そいつを愛用のとげ抜きで毛根ごとひっこ抜き、小箱の蓋になすり付ける。そのときの達成感といったら!ただし、値段はほかの白髪と同じだが。
しかし、それこそがわたしの喜びだった。
この喜びを誰かと共有したいとは思わなかったし、発表したいとも思わなかった。見事なできばえを連発する希有な白髪抜き屋だと自負していたが、べつに他人に気づかれなくてもよかった。わたしは、ただ、白髪抜き屋として、自分に恥ずかしくない仕事をするだけなのだ。なかなかストイックだ。しかし。
「こんなんじゃなくて、もっと目立つのを抜いてちょうだい」
客から苦情を再三申し入れられ、真っ白くて太いのや、こめかみ密集地帯のもわりと積極的に抜くようになった。それをやれば客は喜ぶ。客が喜べば、わたしも嬉しい。白髪が目立たない頭を客は望んでいるのである。
そこでわたしは「誰でも分かる白髪」と「分かりづらい白髪」との配分に気を遣い始めた。客の満足と、自分の満足とに折り合いをつけたくなった。わたしは9歳か10歳だったが、それこそがプロの白髪抜き屋だと信じた。些少とはいえ、報酬を得ている。プロという認識はあながち間違っていない。
さて、わたしは現在、おもに小説を商っている。子どものころの言い方になぞらえれば、小説書き屋だ。
月々に頂戴する原稿料は、平均すると30万を切る。そこから社会保険料だの国保だのなんだかんだを支払うから、実入りは半分以下になる。
印税は、ちょっぴりだけど親にあげたり、上京する際の旅費に充てたりしている。旅費は出版社が持ってくれるケースもあるが、だいたいは自費でまかなう。今年初めて手にした増刷分は、あぶく銭ととらえ、ぱあっと使うことにした。
我が家の経済は相変わらずオットに依っている。わたしが財布をひらくのは、夕食のしたくができないときに取る出前代くらいのものだ。
はっきりいって、わたしが小説書き屋をやっているのは、お金のためでも生活のためでもない。
これはわたしの最大のコンプレックスだ。
だって、困窮した暮らしのなかで小説を書くひとのほうが本物、という考え方があるではないか。小説を書いているせいで暮らし向きがかたむいていく場合も然りだ。実際、そういう、なんというか、「それでも」小説を書きつづけるひとたちの話を聞くと、敵わないと素直に思う。
だからといって、わたしはいまの生活を打ち捨てようとは思わない。安定した暮らしと理解あるオットにめぐまれているわたしだって、ある意味「それでも」書いているひとだといえなくもない。ぬるいけどな。ちっちゃいし。
しかし、白状すると、わたしはそもそも小説を書くことと、その対価としていくばくかの報酬を得ることとの関係性がもうひとつ分からない。上手に結びつけられない。
そりゃあお金は割合好きだし、あれば嬉しい。生活もゆたかになる。たくさん稼いで、もしもオットが勤め先で我慢できないことがあったら、おまえひとりくらいオレが面倒をみてやる、と胸のひとつも叩けるようになりたいと思う。いや、思っているだけですけどね。しかも、うっすらと。
とはいえ、わたしも、どんなにタフな環境で小説を書いているひとも、書いているときは、書いているものしか考えていないんじゃないかな。そうだったらいいなあ。

2012/02/10 05:46:22
公演中止から10ヶ月、『戯伝写楽』の特別な五日間
2012/02/09 23:46:43
ネットカフェ、2300円。
2012/02/07 06:54:01
恋愛禁止もガマン/だってAKB48だから
2012/02/07 05:39:35
「福島の子どもたちからの手紙~ほうしゃのうっていつなくなるの?」発売します。
2012/01/29 10:05:02
期間限定!元・朝日新聞東京本社編集局長・外岡秀俊氏による文章教室、開校。
2012/01/23 10:20:44
AERA English 2012年3月号の内容は!
2012/01/22 14:19:12
16、「年賀状」考
一行コピー, 内藤みか, 押切もえ, K野, AERA English, 中島かずき, 内田かずひろ, 木村恵子, 恋愛, ロダン, ハングリー, 食べ物, 福井洋平, 山田厚史, バルセロナ, 映画, japan photo project, Tina Bagué, ジャパン・フォト・プロジェクト, ティナ・バゲ, 森本徹, 飯島奈美, 尾木和晴, 結婚, ゆきちゃん, 田岡俊次, 高井正彦, aera english, ロダンのココロ句, 太田匡彦






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