あなたに夢中
なるほど、わたしはオットを愛している。でも、恋となると話はべつだ。
恋は突如発動する。動力を起こす。エネルギーになる。それは物理的な力だ。
ところで「物理的」ってなんだろう。勢いで使ったが、主旨と合っているかどうかちょっと不安だ。辞書をひいてみることにする。大辞林だ。物事を広さ・重さ・時間など、もっぱら数量化できる面からとらえるさま、だそうだ。よかった。合っている。恋に落ちるのは生理的な現象だが、その起こす力は物理的に計測できる、とわたしはこういいたかったのだ。
はっきりいって、時間がとられる。一日24時間はおろか大の月なら31日間のほとんどが、それにかかりっきりとなる。ほかにはなにも手につかない。
不思議なのは、そのあいだ、時がすこぶる速く経つことだ。気がついたら朝になっている。と思えば、いつのまにか夕方だ。そして西にしずむ太陽と、橙や紫に色変わりする空をながめているうち、夜がくる。
年がら年じゅう浮き名を流す仇っぽい女優のような口をきかせてもらえるなら、恋をしていないと、わたしは生きている感じがしない。ただし、恋に落ちる対象は、異性とは限らない。同性とも限らない。というか、ひととは限らない。
ここ数年、めっきり、という具合で、ひとへの恋情が発動しなくなった。親愛の情は湧く。胸がほのかに温まり、このひとと、いつまでもこうして話をしていたいと、ふと涙ぐむこともある。けれども、それはこたつの温度でたとえると弱~1であって、7~強では決してない。
だからといって、とくに残念ではない。女として終わったのね、とは考えない。むしろ、そんなことくらいでなぜ終わらなきゃならない? と訊きたい。よしんば「終わった」としても、エ・アロールだ(それがどうしたの)。
そもそも、わたしの恋は、基本、片思いなのだった。
相手の気持ちなど、おかまいなしに好きになった。両思いになったらそれは僥倖(ぎょうこう)というやつで、だから相当めでたいのだが、わたしとしては、告白して、ふられたほうがすっきりした。ことにヤング時分はそうだった。いわゆる「叶う」とか「叶わない」とか、そういうのはわりとどうでもよかった。
わたしは、そのだれかを、ただただ好きでいたかったし、できれば独占したかった。矛盾しているとのご指摘もあろう。でも、やってみたら分かる。自分の胸のうちだけで思っているほうが、実際に交際するよりずっと、そのだれかを独り占めにできるのだ。とはいうものの、たとえ自分だけで思っていたとしても、なかなかどうして、そのだれかを完全に独占することはできない。これもやってみたら分かる。「好き」がふくらんでいくばかりなのだ。喉元まであがってきて、あふれそうになる。すごく熱烈だ。きもくてうざくてなんとも痛い、それがわたしの恋情だった。その自覚は当時もうっすらとだがあった。でも、ますます夢中になっていったから難儀である。
ああ、そうか。「夢中」か。
わたしは好きなものや事柄に夢中なとき、生きてるなあ、と実感できる質のようだ。正確にいうと、息をしているのも忘れるようなそんなときに生を感じる。
それは恋と違うのかもしれない。とてもよく似ているが、別物のような気がしてきた。辞書をひいてみる。
「夢中」は、一つの物事に心を奪われて我を忘れる・こと(さま)で、「恋」は、異性に強く惹かれ、会いたい、ひとりじめにしたい、一緒になりたいと思う気持ち、らしい。
ほらね。やっぱり。というのは、わたしにいわせると、「夢中」は「恋」の「状態」だからだ。そりゃあ対象となるものに「一つの物事」と「異性」の違いはあるが、それ、そんなに大きな問題ではないと思う。
『変愛小説集』という素敵な本がある。岸本佐知子氏の編訳により、十一の短編小説がおさめられている。
「あのね。わたし、木に恋してしまった」
で始まる一編目のタイトルは『五月』。
「どうしようもなかったの。花がいっぱいに咲いていて」
とつづく。たしかに少し変かもしれないが、その「どうしようもなさ」は、読めばたぶん理解できる。しかも身にしみて、だ。
少なくともわたしは身にしみた。木に恋をした『五月』の主人公は、その花の白さをこう表す。
「それは青い空の色、灼熱に霞む空の色、庭に干したと思ったら暑さであっという間に乾いてしまってすぐに取り込むシーツの色、騒々しい白の上に重なる騒々しい白、甘い香りを放ちながら房になって差しのべられ、頭をもたげ、うつむき、そうやってうなずきながら、同じ一つの言葉を何度も何度も----イエス、イエスと----繰り返す白。自分の上にあふれてこぼれる白。蜂たちを待ちわびる白、ぽわぽわと花粉にまみれ、見るものを中に誘い込む白」
ファビュラス! 白は、ひとつではない。ましてやその花の白だったら、なおのこと。こういうのを読むと、比喩ばんざい、といいたくなる。描写ばんざい。
閑話休題。
今回は、これまでわたしが「恋」をしてきたものを書くつもりだった。でも、前段を書いているうち、つい「夢中」になってしまって枚数が足りなくなった。次回、まさかの後編につづく。
恋は突如発動する。動力を起こす。エネルギーになる。それは物理的な力だ。
ところで「物理的」ってなんだろう。勢いで使ったが、主旨と合っているかどうかちょっと不安だ。辞書をひいてみることにする。大辞林だ。物事を広さ・重さ・時間など、もっぱら数量化できる面からとらえるさま、だそうだ。よかった。合っている。恋に落ちるのは生理的な現象だが、その起こす力は物理的に計測できる、とわたしはこういいたかったのだ。
はっきりいって、時間がとられる。一日24時間はおろか大の月なら31日間のほとんどが、それにかかりっきりとなる。ほかにはなにも手につかない。
不思議なのは、そのあいだ、時がすこぶる速く経つことだ。気がついたら朝になっている。と思えば、いつのまにか夕方だ。そして西にしずむ太陽と、橙や紫に色変わりする空をながめているうち、夜がくる。
年がら年じゅう浮き名を流す仇っぽい女優のような口をきかせてもらえるなら、恋をしていないと、わたしは生きている感じがしない。ただし、恋に落ちる対象は、異性とは限らない。同性とも限らない。というか、ひととは限らない。
ここ数年、めっきり、という具合で、ひとへの恋情が発動しなくなった。親愛の情は湧く。胸がほのかに温まり、このひとと、いつまでもこうして話をしていたいと、ふと涙ぐむこともある。けれども、それはこたつの温度でたとえると弱~1であって、7~強では決してない。
だからといって、とくに残念ではない。女として終わったのね、とは考えない。むしろ、そんなことくらいでなぜ終わらなきゃならない? と訊きたい。よしんば「終わった」としても、エ・アロールだ(それがどうしたの)。
そもそも、わたしの恋は、基本、片思いなのだった。
相手の気持ちなど、おかまいなしに好きになった。両思いになったらそれは僥倖(ぎょうこう)というやつで、だから相当めでたいのだが、わたしとしては、告白して、ふられたほうがすっきりした。ことにヤング時分はそうだった。いわゆる「叶う」とか「叶わない」とか、そういうのはわりとどうでもよかった。
わたしは、そのだれかを、ただただ好きでいたかったし、できれば独占したかった。矛盾しているとのご指摘もあろう。でも、やってみたら分かる。自分の胸のうちだけで思っているほうが、実際に交際するよりずっと、そのだれかを独り占めにできるのだ。とはいうものの、たとえ自分だけで思っていたとしても、なかなかどうして、そのだれかを完全に独占することはできない。これもやってみたら分かる。「好き」がふくらんでいくばかりなのだ。喉元まであがってきて、あふれそうになる。すごく熱烈だ。きもくてうざくてなんとも痛い、それがわたしの恋情だった。その自覚は当時もうっすらとだがあった。でも、ますます夢中になっていったから難儀である。
ああ、そうか。「夢中」か。
わたしは好きなものや事柄に夢中なとき、生きてるなあ、と実感できる質のようだ。正確にいうと、息をしているのも忘れるようなそんなときに生を感じる。
それは恋と違うのかもしれない。とてもよく似ているが、別物のような気がしてきた。辞書をひいてみる。
「夢中」は、一つの物事に心を奪われて我を忘れる・こと(さま)で、「恋」は、異性に強く惹かれ、会いたい、ひとりじめにしたい、一緒になりたいと思う気持ち、らしい。
ほらね。やっぱり。というのは、わたしにいわせると、「夢中」は「恋」の「状態」だからだ。そりゃあ対象となるものに「一つの物事」と「異性」の違いはあるが、それ、そんなに大きな問題ではないと思う。
『変愛小説集』という素敵な本がある。岸本佐知子氏の編訳により、十一の短編小説がおさめられている。
「あのね。わたし、木に恋してしまった」
で始まる一編目のタイトルは『五月』。
「どうしようもなかったの。花がいっぱいに咲いていて」
とつづく。たしかに少し変かもしれないが、その「どうしようもなさ」は、読めばたぶん理解できる。しかも身にしみて、だ。
少なくともわたしは身にしみた。木に恋をした『五月』の主人公は、その花の白さをこう表す。
「それは青い空の色、灼熱に霞む空の色、庭に干したと思ったら暑さであっという間に乾いてしまってすぐに取り込むシーツの色、騒々しい白の上に重なる騒々しい白、甘い香りを放ちながら房になって差しのべられ、頭をもたげ、うつむき、そうやってうなずきながら、同じ一つの言葉を何度も何度も----イエス、イエスと----繰り返す白。自分の上にあふれてこぼれる白。蜂たちを待ちわびる白、ぽわぽわと花粉にまみれ、見るものを中に誘い込む白」
ファビュラス! 白は、ひとつではない。ましてやその花の白だったら、なおのこと。こういうのを読むと、比喩ばんざい、といいたくなる。描写ばんざい。
閑話休題。
今回は、これまでわたしが「恋」をしてきたものを書くつもりだった。でも、前段を書いているうち、つい「夢中」になってしまって枚数が足りなくなった。次回、まさかの後編につづく。

2012/02/10 05:46:22
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2012/01/22 14:19:12
16、「年賀状」考
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