朝倉かすみ[ぜんぜんたいへんじゃないです。]

2008年09月30日

あなたに夢中・2

かれの名はダザイくんという。

ジャンガリアンハムスターだ。体長およそ10センチ。毛色は明るいグレーで、背なかに黒色の帯が入っている。おなかは真っ白だ。足の裏にはえている毛も同様である。いちおう尻尾もついていた。おしるし程度の丸いやつだ。

2000年の秋に出会った。場所は、東急百貨店9階のペットショップだ。記憶が確かなら、1050円だった。

そのときわたしが読んでいた本の著者にちなみ、ダザイくんと命名した。太宰の『きりぎりす』だったからそうなっただけで、他意はない。『金閣寺』を読んでいたらミシマくんになっていただろう。

およそ子どもが「一生のお願い」と親に泣きつき飼育をゆるされる動物とは、ひと通り付き合ったつもりだったが、ハムスターは初めてだった。

まず食物を両手で持ってたべるのがめずらしかった。

わりとすぐに、ダザイくんは、こちらがハイと渡したものを臆せず受け取るようになった。茹でる前の素麺くらいの指でもって、けっこうちゃんと「持つ」のである。

わたしが指の腹にのせて差し出した絹ごし豆腐の欠片もかんたんに持ったので、どこまで柔らかなものを持てるのか興味が湧いた。

ハードルを一気に上げて、ヨーグルトで試してみたら、平然と「持った」のでたいへん驚いた。プレーンヨーグルトのやや固まった部分を両手で持てる知り合いなんて、わたしにはいない。ダザイくんは、だいたいのものを持つことができるようだ。

ところが、そのうち、美味しいものしか持たなくなった。カマンベールチーズの味を知ったら、プロセスチーズには見向きもしない。渡せばしぶしぶ「持つ」ものの、すぐさま捨てた。叩きつけるような、潔い捨てっぷりだった。

そんなダザイくんがいっとう好んだのは、ヒマワリの種である。ピーナッツ、タンポポの花、蒸した金時芋とランキングはつづくのだが、ここではヒマワリの種の話をする。

ひと粒ずつカラを剥いてから、頬袋にしまう。ダザイくんは割合几帳面なのだ。ただし、しまい方は雑だった。しかし、そのぶん、勢いがあった。相撲にたとえるなら、がぶり寄りに匹敵する迫力を見せた。ちっちゃな口にヒマワリの種を豪快にねじ込んでいくのである。両ほうの頬袋がいっぱいになったら、ちょっとタンマね、というように巣箱へ急いで戻った。

その巣箱はわたしの手製だった。空き箱を再利用した、エコ巣箱だ。

ダザイくんはとにかくなんでも齧るので、頑丈にする必要があった。ティッシュの箱なら二重にした。日本酒やウイスキーの入っていた箱は厚手なので都合がよかった。よって、ダザイくんの巣箱の柄は「HOXY」とか、「純米大吟醸 国士無双」とか、オットのとっておきの「THE GLENLIVET 12 YEAR OLD」とあいなった。クリスマスには、ヴーヴクリコの箱になったし、新年はミニ樽酒の箱になった。

頬袋をいっぱいにしたダザイくんが巣箱に戻ると、かそけき音が聞こえてくる。雨の擬音によく似ていた。雨うちわを振って立てる芝居の効果音みたいだった。波の音に聞こえることもあった。渋紙を張ったざるのなかで小豆を揺するような音だった。

食料備蓄所でもある巣箱に頬袋にしまっておいたヒマワリの種を吐き出し終えて、ダザイ君はわたしの前にちょっこり座る。両手をやや上げ、振ってみせ、教えもしないのに、チョーダイ、チョーダイをやり始める。

こちらを見上げるかれの目は、たいそうつぶらだ。真っ黒で、大きくて、垂れている。まるで笑っているようで、そうしてダザイくんときたらいつもそんなふうだから、愚かしげに見えるのだった。ことに冬が近づくと、全体の毛色は晒されたように白っぽくなり、えもいわれぬ哀感が漂った。

わたしとダザイくんとのコミュニケーションは、食物を介さなければ成立しなかった。かれがわたしに寄ってきたり、愛想よくしたりするのは、美味しいものを欲しいときだけだった。しかもケージ越しに限られた。あいだに鉄柵がなければ交歓できないわたしたちなのだった。

散歩と称して、室内に放すことはあった。しかし、ダザイくんは壁伝いに爆走したり、カーテンをよじ上ったりするのに忙しく、その眼中にわたしのすがたはないようだった。呼んでも、ヒマワリの種を振って見せても、完全に無視された。

からだには、ほとんど触らせてもらえなかった。かれはとても小さいので、わたしは、かれを、意のままに扱うことができたはずだ。機嫌よく回し車を回していたり、安眠しているところを、ぎゅっと_んで、てのひらにのせることもやろうと思えばできた。でも、やらなかった。噛まれたり、ヂヂッと威嚇されたりするのを恐れたのではない。わたしは、ただ単純に、かれから嫌われたくなかったのだ。

スキンシップを試みたことはある。そうっと包んで、頬ずりしたことも。すぐに逃げられたが、毛触りはよく覚えている。

強いていえば、天鵞絨(びろうど)に近い。あれよりもっと毛足が長く、ふっくらと柔らかで、なおかつ繊細である。毛皮屋さんでファーのコサージュを手に取らせてもらったとき、すごく似ていると思った。でも、温かくなかったし、速い鼓動も伝わってこなかったから、やっぱりぜんぜんちがうのだった。

ダザイくん、と呟くだけで、恥ずかしながら泣きたくなる。あのちっぽけな生きものは、わたしにとって最強のツンデレだった。

ツンデレ , 両立 , 主婦 , 仕事 , 大変 , 恋愛 , 朝倉かすみ

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