朝倉かすみ[ぜんぜんたいへんじゃないです。]

2009年06月20日

書くこと以外3

サイン会の会場は三省堂書店だった。札幌駅直結のステラプレイスというショッピングモールに今年の早春、オープンしたばかりの大型書店の一隅で決行されたのである。

時間がくるまで、事務室で待機した。三省堂書店の副店長と話をしたり、祥伝社編集者の牧野さんから、デジタルカメラにおさめてあった「滝行の思い出」の写真を見せてもらったりしていた。担当編集者の南部さんは、時間ぎりぎりまではんこを押す練習をしていた。

なぜはんこを押す練習が必要なのかというと、わたしの持参した朱肉が印泥(いんでい)だったからだ。印泥はスタンプよりも鮮やかな色を発する。だが、少々扱いづらい。粘土状なのだ。ヘラで練ってから使う。子どものころ、カップアイスをたべるとき、固いのがいやでヘラでかきまぜ柔らかくしていくさいの初期段階の手応えに似ている。でも、あれより重い。トルコの伸びるアイスクリーム・ドンドルマをこねる感触のほうが近いだろう。あれを少しだけ固くした感じなのだが、この喩えは逆に分かりづらいかもしれない。

なにかを説明しようとするとき、わたしは喩えを重ねがちだ。カップアイスの喩えで止めてもよかったのにドンドルマまで持ち出したのは、より実際の感触に近いものを書きたかったというより、「ドンドルマ」という語感が愉快だったからだと思う。濁音(あるいは半濁音)に「ん」がついていて、しかも語呂のいい単語が好きなのだ。例をあげれば、「ぶんどき(分度器)」も好きだが、「ぷんどんきん」だったらもっと好きということだ。そんな言葉はないが。いや、その前に「分度器」の原型もとどめていないが。

時間がきて、会場に出て行った。書店のなかに白い布をかぶせた机が用意されていて、そこが「会場」なのだった。「会場」まで歩いて行くとき、きてくださったかたがたに挨拶するつもりだったのだが、忘れてしまった。あがっていたのだ。若干うわずったまま、椅子に腰かける。牧野さんと南部さんがわたしの両隣に立つ。露払いと太刀持ちのようだ。となると横綱はわたしになるのだが、この横綱は背がひくく、椅子に深く腰かけたら床につま先がようやく届くような案配で、足をぷらぷらさせていた。

露払い(牧野さん)が来場されたかたから順々に本を受け取り、横綱(わたし)に手渡し、サインし終えたらその本を太刀持ち(南部さん)に手渡して、はんこを押すという流れらしい。

この「流れ」を、太刀持ちが露払いに早口で何度も確認していた。しかも「ま、ま、牧野さん」と詰まり気味に呼びかけるのだった。完全にイッパイイッパイのようすだ。このような状態の太刀持ちをわたしは見たことがなかった。普段はとても落ち着きのあるひとなのだ。背もすらっと高いし、おねえさん、と呼びたくなる雰囲気を持っている。

訊けば、初めてのサイン会だという。いくらどんなに泰然と見えても、背が高くておねえさんっぽくても、太刀持ちは入社三年目のヤングガールなのである。

おかげでぐっとリラックスできた。きてくださった皆さんと平常時の気持ちと態度で接することができたと思う。話もできた。話がしたくて、白い布をかぶせた机の向こう側に椅子を用意してもらった甲斐があったというものだった。

友だちはもちろん、メールを頂戴したことはあるが、お会いするのは初めてのかたとか、同窓のかたとか、同年代のかたとか、旭川での講演に来てくださったかたとか、京子(実母)の知り合いのかたとか、話せば、なにかひとつはわたしと共通点があり、それはおもに地元ならではの共通点ではあったが、たいへん嬉しく、愉しかった。

そして京子の番がやってきた。京子は隣家の奥さんをともなって、わたしの向かいに悠然と腰を下ろした。露払いと太刀持ちを紹介したら、「さっき、お名刺いただいたの。ね?」とかれらに会釈する。ああ、そうですか、とサインし始めて間もなく、どういうきっかけだったか忘れたが母の日の話題になった。母の日はとっくに過ぎていて、わたしは京子にプレゼントを送るのを忘れていたのだ。

「淳(実弟)からは素敵な胡蝶蘭をもらったんだけど」と京子がいうので、「じゃあ、お花でも送りますか」と答えたら、「お花はもういい」と首を振る。「お花じゃなくて」といいだす。分かってるくせに、みたいな顔つきをする。「......薄いものがよろしいんですか」と訊ねたら、こっくりとうなずいた。京子はお花も好きだが、お金も好きなのだ。サイン会会場でこんな展開になるとは思わなかった。

というわけで、初めてのサイン会が終わった。お忙しいなか足を運んでくださったうえに拙著をお買い上げくださった皆さまに、心から感謝いたします。お花や手紙やお菓子やお酒をいただいたお礼も合わせて申し上げます。どうもありがとうございました。 

サイン会 , 朝倉かすみ

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