朝倉かすみ[ぜんぜんたいへんじゃないです。]

2009年07月14日

そういうもの

今日の札幌は雨だ。濡れた路面を走る車の音が聞こえる。小水を放つ音に似ている。

小水といえば手洗いで用を足すさい、消音するために空流しをするテクニックをわたしが覚えたのは遅まきながら高校生のときだった。だれだったかは記憶にないが、友だちだったのはたしかだ。

「聞こえるよ」といわれたのだった。デパートへあそびに行って、わたしが先に用をすませて個室から出てきたときだ。もちろんわたしだって小水を放つ音をひとに聞かれるのは、なんとなくいやだったし、そこはかとなく恥ずかしかったけど、「そういうもの」だと思っていた。対処法があるとは考えもしなかった。

十代の半ばまで手洗いが水洗式ではなかったことが原因だと思う。個室からいろんな音が聞こえてくるのはある程度当たり前だった。あと、小学校低学年のころ、スカートめくりが校内で一世を風靡した折り、男子にめくられるからスカートをはいて行きたくないと京子(実母)にいったら、「パンツをはいているからいいではないか」というようなことをいわれたのも原因だと思われる。「そりゃパンツをはいてなかったらたいへんだけど」と京子はつづけた。

スカートをめくられたらパンツが出てくるのは当たり前、という考え方だ。たしかにパンツ以外のものが出てきたら、めくり手も動揺するだろう。かれらはパンツと、パンツを見られて恥ずかしがる風情を想定しているはずだからだ。

ところでスカートめくりなら「おいた」で済むが、男子にたいする同種の行為となると俄然陰湿な雰囲気がただようのはよく考えると不思議だ。男子がズボンを下ろされたら「おいた」じゃ済まなくなる感じがする。いや、いまの風潮がどうなのかは知らないけど。スカートめくりも陰湿なものとされているのかもしれないんだけどね。

ところが長じて、宴席などで、男が自らズボンを下ろしてパンツやそれ以外のものを披露するのは、当事者のキャラクターにもよるがだいたいは明るく受け止められるのに、女が自らスカートをめくってパンツなどを見せるとなんとはなしに不穏なムードが発生するのも不思議だ。むろんこれだって当事者のキャラクターによるのだが、その行為が明るく受け入れられるためにはよほど突き抜けた個性が必要なのではないかと。でも、パンツ止まりでしょう。それ以外のものまで出すのは一般人だとお転婆とかお茶目ではすまされない。

話をもとに戻す。戻すといっても手洗いの話なんですが。

「音姫」に代表されるトイレ用擬音装置の出現は画期的だった。男性がご存知なのかどうかは分からないが、ボタンを押したりセンサーに手をかざしたりすると流水音が再生され、排泄音をかき消す装置が現在公衆トイレのほとんどに設置されているのだった。

水資源の無駄遣いにならないからいいと思う、とエコ寄りの発言をしてみる。だが、音姫の再生する流水音は水洗レバーを倒して流す実際の水音よりパンチがないので、わたしは個人的にはいつもうっすらと不安だ。

かといって、カフェやバーの手洗いによくある、個室に入ると大音量で音楽が流れているタイプも不安だ。消音する手立てを講じなくても大丈夫な気がして、つい丸腰で臨んでしまうのだが、わたしの立てるいろんな音(そんなに「いろいろ」じゃないけどさあ)は、ほんとうに外部に漏れていないのだろうか。

iPodを聴きながら、鼻歌を歌っているひとをたまに見かける。ウォークマン隆盛時に比べたらずいぶん少なくなったようだが、でも、まだ、いることはいる。あれって大音量の音楽が自分にしか聞こえていないのをつい失念するからなんでしょう?

カフェやバーの手洗いは防音してあるらしくて、個室内にひびく大音量の音楽はドアの外には漏れていないんだけど、でも、どうしてなのかなあ、不安なんですよね、わたし。

といっても、なにがなんでも我が音を他人に聞かれたくないと思っているのではないのだからややこしい。たとえば外国の公衆トイレではナチュラルに振る舞うことが多いのだった。

旅の恥はかき捨て、ではなく、郷に入っては郷に従え、ってやつだ。向こうのひとたち(この言い方も大雑把だけど)は、わたしの見聞したところ、音を消さない。ちなみにわたしの「見聞」は狭いので鵜呑みにしないでもらいたい。

そもそもわたしは郷に従いやすい性分で、外国旅行に出かけると軽薄に順応しがちだ。英語圏なら、オウ、と肩をすくめたり、アウチ、と痛がったりする。アハンとかンフンとかいう独特の相槌も得意だ。相手がなにをいっているのかは分からないけど。でも、相槌はすごく上手だ。

手洗いでの消音問題も友だちに教えてもらって初めて、それが郷(日本)の習慣だと気づいた。従っているうち、身に染みついたのだろうなあ。でも、「そういうもの」と思っている部分はなくなっていなくて、聞こえるんじゃないかと不安になるのも、じつは不安がってみせているだけなのではないかという気がする。だれに、って自分自身に。

不可解だったのは、とある空港の手洗いで遭遇した中年女性の行動だ。個室から出てきて、先に用をすませた同行者に「流し方が分からないからそのまま出てきちゃった」と大声でいった。「やだ、奥さん、あたしもよ」と同行者が答え、ふたりそろって笑っていたのだが、わたしは知っている。かのじょたちは、音姫は使用していたのだ。排泄音は消すのに、排泄物は流さなくて平気ってどういうことだ。

なるほど、その空港の手洗いの流水ボタンはちょっと分かりづらいところにあった。だがわたしは必死で探した。こればっかりは「そういうもの」とはとても思えなかったからだ。
 

スカート , トイレ

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