2008年09月23日

リーマン蟻地獄の深淵

日本人幹部が語る「破綻」までの4日間

編集部 大鹿靖明、太田匡彦/ジャーナリスト 津山恵子


緊急ミーティングの招集がかかったのは、3連休を控えた9月12日の夕方のことだった。

東京・六本木ヒルズ。専用エレベーターで上がった29階から32階にリーマン・ブラザーズの日本法人がある。摩天楼からの眺望は、働く若者たちの自尊心をくすぐる。ここで約1300人が働いている。

オフィスの廊下や室内は日本の古美術品で飾られ、机やいすは重厚な高級材でつくられたものだ。ポリコム社製の電話会議用端末がなければ、まるで外資系高級ホテルのようである。

招集をかけたのは、部門長らベテランの2人の幹部だった。女性秘書まで含む100人余を前に、2人が説明した。

「身売りするか、どこかの傘下に入る発表が、週明けの月曜にあっても驚かないでほしい」
動揺する社員たち。質問が相次いだ。

「考えられる最善と最悪のシナリオは何でしょう」

ベテランの部門長は答えた。

「最悪は、破綻です」

◆日本がかつて踏んだ轍

緊張が走ったが、それでも破綻はあり得ないという空気が濃厚だった。幹部は席上、欧州のクレディ・スイスに吸収された米ファースト・ボストンなど過去の吸収合併の例を引き合いに、一定期間は我々は存続してゆく、と言っていた。リーマンより小規模のベアー・スターンズは3月、破綻直前に米政府が介入し、JPモルガン・チェースに救済合併されてもいる。いざとなれば政府が救済し、買収交渉中だった米バンク・オブ・アメリカ(バンカメ)か英バークレイズの傘下に入る。多くの社員はそう思っていた。

とはいえ、部門の中堅社員はいやな予感がしていた。

米国本社が取り組んできた韓国産業銀行から出資を仰ぐ交渉は9日に決裂したと伝えられた。急速に高まる信用不安の中で、米本社は翌10日、当初予定より早めて発表した決算見通しの中で、不動産関連の不良資産を新たに設ける別会社に移管する計画を明らかにしていた。

だが、期待したニューマネーは入らない。不良資産を別会社に移したところで何ら事態は好転しない。

「これはまずいな」

つい数年前まで日本の不振企業が市場でどんな目に遭わされてきたか。彼は、株式のプロであるはずの自分の勤務先が、かつての日本の不振企業と同じ轍を踏もうとしていることに気が気でなかった。

◆会社清算も一時検討か

案の定、リーマンは売り浴びせられた。前週まで15~16ドル台だった株価は一気に4ドル台に急落した。

弱った獲物に空売りをしかける。リーマンを含む外資系証券会社が日本市場で得意としてきた手法だ。だが、今は自分たちがその餌食になっている。

緊急ミーティング翌日の13日、幹部は社員を落ち着かせようと電話をかけまくった。日本時間の14日深夜から15日未明が合併交渉の山場と思われてきたが、幹部は15日未明、ニューヨークから不穏な情勢を耳にする。米政府の公的支援はなく、期待の合併も法的整理が前提らしい。

週末、ニューヨーク地区連邦準備銀行にはヘンリー・ポールソン米財務長官、ベン・バーナンキ連邦準備制度理事会(FRB)議長、そしてウォール街の名だたる金融機関の最高経営責任者(CEO)ら約30人が厳しい表情で詰めかけていた。

ポールソン長官はその数日前から、政府はリーマンを救済しない意向を各CEOに伝えていた。そのうえでFRBはウォール街の主要金融機関が融資団をつくり、リーマンの資産を買収する案を提起した。連銀のトイレで、あるいは玄関の灰皿前で、ウォール街の重鎮が鳩首のうえ、さまざまな案を検討した。が、モルガン・スタンレーのジョン・マックCEOの、

「リーマンを救済しても次々に後が出てくる。一体どこまでつきあうんだ」

という反論で、融資団案は頓挫した。

同時にリーマン救済に公的支援を得られないと知ったバンカメはメリルに乗り換え、両社は明暗を分けた。158年の歴史をもつ名門投資銀行はこうして9月15日、日本で言う民事再生手続きである連邦破産法11条の適用を申請し、破綻した。

「急転直下のできごとでした。15日の午前5時ごろまで、ニューヨークの幹部を含め、こうなるとは誰も思っていませんでした。一時は11条ではなく、会社を清算する7条の適用さえ検討されていたと聞きました」

幹部の一人はそう嘆いた。

午後には金融庁から在日資産の保全命令が、夜には業務停止命令も下された。日本法人の破綻申請の段取りも決まり、16日朝に東京地裁に民事再生手続きを申し立てた。

破綻はあり得ないという過信。政府頼みの姿勢。米4大証券の4番手という立ち位置。リーマンのおかれた状況は1997年に経営破綻した山一証券と驚くほど似ている。破綻の遠因も山一同様「人災」にある。

◆18年君臨CEOの責任

経営トップのリチャード・ファルドCEOはリーマンの前身時代を含めて18年も君臨してきた。その間、ヘッジファンドLTCMの破綻やITバブル崩壊、9・11テロ事件と、相次ぐ危機を乗り越え、「カリスマCEO」と称賛されてきた。

洋の東西を問わず、長期政権化したトップに周囲や部下は意見が言えなくなる。顔色をうかがう者が出世し、周りはイエスマンばかりになった。

「私が以前在籍していた米系証券会社では考えられないくらい、上層部は硬直的でした」

リーマンに転職してきた中堅社員は、そう声をひそめた。

ファルド氏は自社の株価にはうるさかった。おれは株価を2倍にしたい、が口癖だった。潤沢なストック・オプションや株式の付与のせいか、彼は自社株をたくさん持っていた。破綻でゼロとなったが、一時は数百億円あったという。

サブプライム危機が表面化した昨年夏以降、シティグループやメリルはトップが辞任して大規模増資に踏み切ったが、けじめをつけることができなかったリーマンは出遅れた。ファルド氏は増資交渉を部下に任せ、自身は前面に出たがらない。不調に終わると部下を更迭した。そんな振る舞いは山一の行平次雄元会長を彷彿とさせる。

ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーと比べて規模の小さいリーマンは、先行する巨人に追いつこうと積極的で果敢な社風だった。上層部は官僚的だが、四半期ごとに査定される成績で良い数字をあげれば、きわどいビジネスでもあまり文句は言われない。

◆「私たちは高給ヤクザ」

日本でリーマンがよく知られるようになったのは、ライブドアがニッポン放送に挑んだ敵対的買収のための800億円の資金調達にかかわったことだが、当時のライブドア幹部はリーマンに白羽の矢を立てた理由を「審査が甘いから」と言っていた。他の金融機関からリーマンに転職してきた若手も「前の会社ではできないようなことがリーマンではできる」「上層部が保守的なことを言わない」と新天地を喜んだ。そうした風土が招いたのか、丸紅の保証をうたった巨額詐欺事件にリーマンは引っかかり、出資金など約350億円が回収不能となっている。

リーマン・ブラザーズは、証券会社といっても一般の個人客の株売買を取り次ぐのではない。M&Aの仲介をしたり、デリバティブなど複雑な金融商品を機関投資家に売ったりする「投資銀行」と呼ばれる法人むけのビジネスが主体だ。それは時代の最先端の花形職場だった。

30歳代で年収3000万~4000万円台、40歳代では億円プレーヤーも多い。50歳代になって年収が1000万円台に乗る日本のサラリーマン社会にあって、リーマンを含む外資系証券会社の高給ぶりは突出する。

スーツやシャツは量販店の既製品ではなく、高い生地を選んでテーラーで仕立てる。カフスボタンとスイス製の腕時計を身につけ、欧州製の高級車に乗る。軽井沢や伊豆の別荘、さらには自身が出資する都心の隠れ家レストランをもつ人も珍しくない。週末は自宅でホームパーティーを開き、取引先を集めて高価なワインの栓を抜く。ファッション誌で取り上げられそうなラグジュアリーなライフスタイルは、若者たちから羨望のまなざしで見られ、学生の就職人気は急伸した。

「私たちは高給ヤクザ。どぶねずみルックではダメなんです。パリッとした格好じゃないと企業の用心棒はつとまりません」

ゴールドマンにいた若者は、そう自嘲気味に笑った。

産業界のM&A(合併・買収)の参謀役だった投資銀行は、本来は表に出ない黒衣役だったはずだ。だが、20年余り前、全世界で5000人規模だった投資銀行の社員はいまや3万人にふくれあがった。M&Aの仲介という伝統的な業務からもたらされる手数料では飽きたらず、次第に自己資金を張って大金を得るビジネスに傾注するようになった。それがデリバティブや証券化商品であり、元金をつぎ込んで企業を買収して再上場をめざす自己投資ビジネスだった。もはや投資銀行ではなく、その姿は貪欲なファンドと言えた。

◆強欲な個人と金融工学

エコノミストからはこんな冷ややかな声が上がる。

「要するに借金でバクチをするのが彼らのビジネスモデルでした。しかも成功報酬で働いているから、リスクをとればとるほど個人が稼げる。『強欲な個人』が複雑な金融工学を利用して稼いでいた。今回の事態は『個人の強欲』のなれの果てです」

リーマンの中堅以上の社員たちは、年俸の3分の1がストックオプションや自社の現物株で支払われてきた。彼ら彼女らは、経営破綻によって数千万~数億円の個人資産を一気に失った。

パーティーは終わった。米国事業を買う英バークレイズが日本法人のスポンサーになってくれるか、さもなくばヘッドハンターからの電話が頼りだ。

米国史上最大の倒産となったリーマンの負債総額は63兆7500億円に及ぶと見込まれている。それは山一の負債の127倍に達し、日本政府の税収をはるかに上回る規模である。

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