ハングリー!~飢えてる私の心と体~

2008年12月04日

ハングリー!〜 飢えてる私の心と体〜 <46>

日曜日の昼間なので、丘の上の病院に向かうバスには見舞い客らしき人が十人以上乗り込んでいた。
 
 
その病院は、ほとんどの患者がベッドから起きられない状態で、桃奈(ももな)さんのように静かに眠っている人も何人もいるらしく、ロビーでパジャマ姿の患者が誰かと談笑している光景を見かけたことは、一度もなかった。
 
 
笑い声というものがほどんど聞こえてこない、ただただ静かに、日光と木々の緑が窓から見えるだけの環境に、桃奈さんはいた。
 
 
私は平日に着替えを受け取り洗濯を手伝っていたけれど、日曜日に来るのは大賀とともに訪れて以来だった。
 
 
桃奈さんは、大賀(たいが)が他の女性と温泉に行っていることも知らず、今日もすやすやと、バラ色の頬(ほお)をして、お姫様のように安らかに、ベッドの上で眠っている。
 
 
もし彼女の目が覚めて、今の大賀を見たら、ひょっとしたら悲しくなってしまうかもしれない。私に口移しでごはんを食べさせようとしたり、女性に誘われたら温泉にも気安くついていってしまう彼なのだから。
 
 
何度も何度もキスをされるうちに、私は、大賀は私のことが好きなのだ、と錯覚しかけた。けれどキスした唇の濡れが乾かぬうちにゆりさんと旅行に行く、などと口走るのだから、これは愛情ではなく、バーテンダーとしての仕事の延長なのだ、と気づいた。
 
 
彼のキスは優しかったけれど、優しいだけで、愛情がこもっているわけではなかった。
 
 
「大賀は、あなたのことが、好きなのかもしれないね」
私はいつものように彼女の指を軽く曲げたり伸ばしたりマッサージしながら、問いかけた。
 
 
「あなたと本当はキスしたいのかもしれない。ほんとうはあなたと旅行に行きたいのかもしれない。でもそれが叶わないから、他の女性でごまかしているのかな」
 
 
そう話しかけてみて、何か、違う気がした。
大賀はとても優しい。
けれど優しいだけで、将来の約束が何ひとつあるわけでもない。彼は、誰にでも、優しいのだ。
 
 
「彼はみんなに優しい。ずるい人だと思う」
桃奈さんの柔らかな指の腹を押しながら、私は話し続けた。
 
 
桃奈さんも、きっとこんな気持ちだったのだろう。部屋に寄れば、大賀は嫌な顔をせず、受け入れてくれたのだろう。けれど、それ以上でもそれ以下でもなかったのだろう。
 
 
彼は女性を受け入れてはくれるし、精一杯尽くしてもくれる。けれど、独占させてはくれない。恋愛感情を持ってくれているようで、持ってくれてはいないのだ。
 
 
「ずるいと思う」
私はそう繰り返した。
 
 
桃奈さんのことも、玄米スープを運んだりして大切にしているように見えるけれど、本当に彼女のことを愛しているかは、わからない。彼女を好きならば、部屋に通ってきてくれた時点で、もっときちんと向かい合っていただろうから。
 
 
女性に押されれば、逆らわない。
でも決して自分からは来てくれない。
彼はいつでもするりと逃げられるギリギリの位置にいて、奥までは入ってきてくれない気がした。
 
 
一番欲しい「あなたが好きだ」という言葉は、もしかしたらせがめば言ってくれるかもしれない。けれど、それが本心ではないことは、彼の瞳や態度でみえてしまうだろう。
 
 
「あなたが望むことをできるだけしてあげたい」
と彼は言った。
でもこちらから望まなければ、彼は、自発的には動いてくれないのだ。
実体がない、とてもさみしい関係だ。
彼が望むことが、何もないのだから。
 
 
今回も、彼は、ゆりさんと旅行に行った。
彼女が望めば、一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝ていたりも、するかもしれない。
それを考えると、嫉妬(しっと)で胸苦しくなる。
でもきっと彼は言うのだろう。
「ゆりさんがそれを望んだから......」
 
 
「ずるいよね」
何度目かのずるい、と口走りながら、私は桃奈さんの顔を見た。
そこには、信じられない光景があった。
 
 
彼女は、瞳を開けていた。
 
 
焦点ははっきりとは定まってはいないようだったけれど、でも、私のほう、つまり声のほうに、視線を向けようとしていた。
 
 
驚いて、どうしたらいいのかわからなくて、私は、彼女のぼんやりとした瞳を、何分も、見つめ返していた。
 
 
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