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ハングリー!〜 飢えてる私の心と体〜 <58>
私と大賀(たいが)は、病院の屋上で、暮れかかる空を二人並んで見つめながら、話をした。
「会いたかったの。ずっとあなたと話をしたかったの」
そう言いかけて、あることに気づいて、言葉を飲み込んだ。
大賀は、私に会いたがっていたのだろうか。私との会話を、求めていたのだろうか。
彼は私が店や部屋に現れたら穏やかに対応してはくれるけれど、決して自分から積極的に接近してはこなかった。それは「僕は恋愛してはいけないんです」と以前聞いていたので、そういうものなのかなと勝手に理解していた。
いつも私ばかりが追っている。大賀にとっての私は、いても、いなくても、大した違いではないのかもしれない......。
あの夜、ひとつになったはずなのに......。
隣で空を眺めている大賀は、ひどく遠い存在に思えた。
「もう......桃奈(ももな)の着替えの洗濯は、僕がやりますから」
私の不安は大賀の言葉でさらに煽(あお)られていった。
「今まで苑花(そのか)さんの好意に甘えてしまって、すみませんでした。これは、僕と桃奈の問題だったのに」
「私には時間があるから。いいのよ。誰かのお役に立てるのって、嬉しいし。大賀くんはお店で忙しいだろうし、もしよかったら続けさせてもらいたいのだけど」
そう言っても、大賀の気持ちは変化しそうになかった。私たちの絆は強まったのかと思っていたのに、大賀は切り離しにかかっていく。
「店は......もう閉めようと思ってるんです」
まさか、という思いと、やっぱり、という思いとでぐしゃぐしゃになってしまい、私は何も言うことができなかった。
ここ最近、彼がやる気をなくしていることはわかっていたし、でもそのうちまた営業するだろうと思っていたのに......。
「いい加減な気持ちで営業するわけにもいかないし、一旦クリアにしようかと思って」
「『のんある』がなくなるのは淋しいわ」
「完全になくなるわけじゃ、ないんですよ。営業を他の人に譲ることにしたんです」
お酒も入る普通のバーになり、男子禁制でもなくなるけれど、あの店は、ネットで知り合った30代の男性が内装やドリンクごと譲り受けてくれたのだという。私の知らない間に、大賀は、着々と閉店の準備を進めていたのだ。
「まとまったお金も手に入ると思うので、僕はしばらく、桃奈のそばで寝泊まりしながら、これからのことを考えることにしました」
もう、決めてしまったことだったのだ。
一緒夜を過ごしたことで、彼はかえって私から遠ざかっていく。認めたくない現実がそこにあった。
「私とは......どうなるの?」
「苑花さんとは......」
大賀は、一瞬、言葉を詰まらせた。
「すごく素敵な時間をいただけて、感謝してます」
「......それだけ?」
「僕にとっては、それだけってわけじゃ、ないんですよ。苑花さんとのことがあったから、店を手放す原動力ができたんで。
このままじゃいけないなって、そう思ったから、今の僕が、あるんで」
彼は私をじっと見つめた。
その瞳は、今までの彼の目線とは、確かに違うものだった。
あの、優しくて、我慢強くて、どこか女性に甘えているかのような彼の目ではなかった。自分で自分の道を決めてしまった、男の人の逞(たくま)しさが、少し厳しくなった眼光に現れていた。
「苑花さんと別れた後から、ずっと、病院にパソコンを持ち込んで、寝泊まりしてるんです。最初からこうすればよかったんだろうなって、今ではそう思う。
僕は現実から逃げていたから、あの店を開いて、桃奈との向き合いを誤魔化してました。桃奈のそばにいるようでいて、桃奈から一歩退いてたんです」
向き合えてよかった。と彼は低い声で、呟(つぶや)いた。
「苑花さんが美味しそうに食べている姿に、感動したんです。あの時の苑花さん、すごく綺麗だった。何かを乗り越えた人間ってすごいと思ったんで。
僕も、乗り越えてみたくて、だから、今、桃奈といます。桃奈のことに結論が出なかったら、僕は、先に進めないから」
決着はいつ出るの、と聞くことはできなかった。彼の瞳は落ち着いていた。それが答えだった。彼は桃奈さんという、彼を真剣に愛してくれていた存在のそばにいることで、安らぎを得ていた。
ふと私たちの目がかちりと合った。
辺りは一面、オレンジ色の夕日に包まれていた。このまま彼と一緒に、オレンジ色に溶けていきたかった。いつ目覚めるかもわからない桃奈さんから、彼を奪いたかった。
でもそれから、どうしたらいいのだろう。
私は大賀と、どうしたいのだろう。
彼はふっ、と、何かを悟ったかのような微笑みを見せた。
「おこがましい言い方だけど、僕は、苑花さんを救っているつもりだったんですよ。いろんなドリンクを飲んでもらったり、どんなものだったら食べられるか一緒に考えてみたり、僕なりに、支えているつもりだったんです。
でも。逆でしたね。
僕が、苑花さんに救ってもらったんだなって、今ではそう思うんです。苑花さんがいなかったら、僕は、いつまでも、もしかしたらだらだらとお客さんと健康ドリンクを飲みながら、時間を潰していたかもしれないから」
私は、何も言えなかった。
チェックのシャツの向こうには、彼のどこか頼りなげな腕があるのを知っている。でも彼は彼自身でその頼りなさから脱却しようとしている。こういう状態の男の人には、私ができることなんて、何もなさそうだった。
さよならと言うにはあまりにも突然で、いつのまにか涙が一筋二筋、流れていた。大賀がそれを見つけて何度もぬぐってくれた。彼の唇は何かを決意しているからなのだろう、微笑んではいたけれど、固く結ばれていた。
彼の瞳は、夕焼けを通して未来を見つめていた。けれどその未来は、私との未来ではなかった。
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(毎週月曜日、木曜日更新)
「会いたかったの。ずっとあなたと話をしたかったの」
そう言いかけて、あることに気づいて、言葉を飲み込んだ。
大賀は、私に会いたがっていたのだろうか。私との会話を、求めていたのだろうか。
彼は私が店や部屋に現れたら穏やかに対応してはくれるけれど、決して自分から積極的に接近してはこなかった。それは「僕は恋愛してはいけないんです」と以前聞いていたので、そういうものなのかなと勝手に理解していた。
いつも私ばかりが追っている。大賀にとっての私は、いても、いなくても、大した違いではないのかもしれない......。
あの夜、ひとつになったはずなのに......。
隣で空を眺めている大賀は、ひどく遠い存在に思えた。
「もう......桃奈(ももな)の着替えの洗濯は、僕がやりますから」
私の不安は大賀の言葉でさらに煽(あお)られていった。
「今まで苑花(そのか)さんの好意に甘えてしまって、すみませんでした。これは、僕と桃奈の問題だったのに」
「私には時間があるから。いいのよ。誰かのお役に立てるのって、嬉しいし。大賀くんはお店で忙しいだろうし、もしよかったら続けさせてもらいたいのだけど」
そう言っても、大賀の気持ちは変化しそうになかった。私たちの絆は強まったのかと思っていたのに、大賀は切り離しにかかっていく。
「店は......もう閉めようと思ってるんです」
まさか、という思いと、やっぱり、という思いとでぐしゃぐしゃになってしまい、私は何も言うことができなかった。
ここ最近、彼がやる気をなくしていることはわかっていたし、でもそのうちまた営業するだろうと思っていたのに......。
「いい加減な気持ちで営業するわけにもいかないし、一旦クリアにしようかと思って」
「『のんある』がなくなるのは淋しいわ」
「完全になくなるわけじゃ、ないんですよ。営業を他の人に譲ることにしたんです」
お酒も入る普通のバーになり、男子禁制でもなくなるけれど、あの店は、ネットで知り合った30代の男性が内装やドリンクごと譲り受けてくれたのだという。私の知らない間に、大賀は、着々と閉店の準備を進めていたのだ。
「まとまったお金も手に入ると思うので、僕はしばらく、桃奈のそばで寝泊まりしながら、これからのことを考えることにしました」
もう、決めてしまったことだったのだ。
一緒夜を過ごしたことで、彼はかえって私から遠ざかっていく。認めたくない現実がそこにあった。
「私とは......どうなるの?」
「苑花さんとは......」
大賀は、一瞬、言葉を詰まらせた。
「すごく素敵な時間をいただけて、感謝してます」
「......それだけ?」
「僕にとっては、それだけってわけじゃ、ないんですよ。苑花さんとのことがあったから、店を手放す原動力ができたんで。
このままじゃいけないなって、そう思ったから、今の僕が、あるんで」
彼は私をじっと見つめた。
その瞳は、今までの彼の目線とは、確かに違うものだった。
あの、優しくて、我慢強くて、どこか女性に甘えているかのような彼の目ではなかった。自分で自分の道を決めてしまった、男の人の逞(たくま)しさが、少し厳しくなった眼光に現れていた。
「苑花さんと別れた後から、ずっと、病院にパソコンを持ち込んで、寝泊まりしてるんです。最初からこうすればよかったんだろうなって、今ではそう思う。
僕は現実から逃げていたから、あの店を開いて、桃奈との向き合いを誤魔化してました。桃奈のそばにいるようでいて、桃奈から一歩退いてたんです」
向き合えてよかった。と彼は低い声で、呟(つぶや)いた。
「苑花さんが美味しそうに食べている姿に、感動したんです。あの時の苑花さん、すごく綺麗だった。何かを乗り越えた人間ってすごいと思ったんで。
僕も、乗り越えてみたくて、だから、今、桃奈といます。桃奈のことに結論が出なかったら、僕は、先に進めないから」
決着はいつ出るの、と聞くことはできなかった。彼の瞳は落ち着いていた。それが答えだった。彼は桃奈さんという、彼を真剣に愛してくれていた存在のそばにいることで、安らぎを得ていた。
ふと私たちの目がかちりと合った。
辺りは一面、オレンジ色の夕日に包まれていた。このまま彼と一緒に、オレンジ色に溶けていきたかった。いつ目覚めるかもわからない桃奈さんから、彼を奪いたかった。
でもそれから、どうしたらいいのだろう。
私は大賀と、どうしたいのだろう。
彼はふっ、と、何かを悟ったかのような微笑みを見せた。
「おこがましい言い方だけど、僕は、苑花さんを救っているつもりだったんですよ。いろんなドリンクを飲んでもらったり、どんなものだったら食べられるか一緒に考えてみたり、僕なりに、支えているつもりだったんです。
でも。逆でしたね。
僕が、苑花さんに救ってもらったんだなって、今ではそう思うんです。苑花さんがいなかったら、僕は、いつまでも、もしかしたらだらだらとお客さんと健康ドリンクを飲みながら、時間を潰していたかもしれないから」
私は、何も言えなかった。
チェックのシャツの向こうには、彼のどこか頼りなげな腕があるのを知っている。でも彼は彼自身でその頼りなさから脱却しようとしている。こういう状態の男の人には、私ができることなんて、何もなさそうだった。
さよならと言うにはあまりにも突然で、いつのまにか涙が一筋二筋、流れていた。大賀がそれを見つけて何度もぬぐってくれた。彼の唇は何かを決意しているからなのだろう、微笑んではいたけれど、固く結ばれていた。
彼の瞳は、夕焼けを通して未来を見つめていた。けれどその未来は、私との未来ではなかった。
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2012/02/10 05:46:22
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2012/02/07 06:54:01
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2012/02/07 05:39:35
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2012/01/29 10:05:02
期間限定!元・朝日新聞東京本社編集局長・外岡秀俊氏による文章教室、開校。
2012/01/23 10:20:44
AERA English 2012年3月号の内容は!
2012/01/22 14:19:12
16、「年賀状」考
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