かっぱのかーすけ
ペンネームをつけたのは、本名を隠したかったからだった。わたしは自分の名前が好きではなかった。子どもの頃からだから、割合長い期間である。
渡辺香純なのだった。とくにわるくないのでは? と思われるかたもいらっしゃるかもしれない。しかし、わたしが生まれたのは1960年。女子の名前は「子」のつくものが一般的だった。
就学年齢に達する時分に直面したのが、略称問題だった。愛称問題と換言してもいい。わたしには、愛称がなかなかつかなかった。
女子の場合、下の名前の上ひと文字かふた文字を取り、そこに「ちゃん」をくっつけるのがオーソドックスな方法である。ところが、わたしは、ひと文字取ったらカーちゃんとなり、ふた文字取ったらカスちゃんになってしまう。カーちゃんはあんまりだからということで(カスちゃんは論外)、カッちゃんと呼ばれかけた時期があった。これをわたしはけっこう断固として拒否した。カッちゃんには男子っぽい響きがあると思ったのだ。
あいにくわたしはディズニー・プリンセスが着るようなドレスに憧れを抱く女子だった。トンボの羽みたいに透き通った生地のショールを肩にかけ、長くて白い手袋をはめ、高々と髪を結い上げお城の舞踏会に出席したいと夢想していた。なのに、わたしは親の好みにより、髪型をベリーショートにさせられていた。すそも刈り上げ気味だったし、耳に髪の毛がちょっとでもかぶさったら、「そろそろ床屋にいかないとな!」といわれていたのだ。
髪が短いばっかりに男子と間違われるのを哀しく思っていたところへ持ってきて、もしもカッちゃんという愛称が定着したら、一巻の終わりだと考えた。金輪際、舞踏会には招かれないだろうというような、暗澹たる思いだった。
暗澹たる思いに駆られたことはまだあった。あだ名をつけられたのだった。小1のときだ。同じクラスの腕白坊主が口火を切った。最初は囃子詞だった。「かっぱのかーすけどんどん、馬のけつ」というものである。意味が分からない。だからこそ独特の勢いがあったようで、男子どもが面白がった。「馬のけつ」は「尻のあな」に転じる場合もあった。いずれにしても肛門周辺の話だった。
家に帰って、わたしは泣いた。わけを訊ねる母に、学校でこんなに酷いことをいわれた、と申し立てた。母は、優しく慰めようとしたらしいのだが、「気にしなくていいから」というそばから吹き出したので、助けにはならなかった。そればかりか、仕事を退けて帰ってきた父に、いそいそと報告した。ふたりはわたしの眼前でひとしきり笑い合った。父がお腹を抱えながらこちらを見向き、「よう大将、たいへんだったな」と軽口をきく。わたしはまたぶり返したように泣いた。ごはんの時間になってもめそめそしていたら、母に「景気がわるい」と叱られた。世界じゅうにわたしの味方などひとりもいないと思ったものだ。
そのうち、わたしのあだ名は「かっぱ」になった。「馬のけつ」よりはましだが、承服できるはずがない。わたしには、「かっぱ」の要素はなにもないというのがその理由だ。ただ、名前に「か」がつくだけではないか。理不尽だったが、このあだ名は小学校を卒業するまでひそやかにつづいた。
中高短大と名前に関しては平穏な日々を送った。異変が起こったのは、バイトをするようになってからだ。中年の男性に「ナベちゃん」と呼ばれるようになった。渡辺だからだ。会費の安い宴会で、白菜ばかりが幅を効かせる、なに鍋ともつかない鍋が出てくると、「わたナベだ、わたナベ」といわれ、対応に苦慮した。にもかかわらず、おじさんたちは「ほら、ナベちゃん。わたナベ」と、しつこいのだった。
かれらはわたしが「もう、やめてくださいよう」と笑いながらプンスカ怒るのを期待していたのかもしれない。しかし、当時のわたしはそういうことができるほどには、熟れていなかった。わざとらしい失笑を浮かべ、「だから?」と呟いた覚えがある。和気あいあいとしたムードを壊してしまい、済まなかった。
転機を迎えたのは、やはり結婚だった。姓が変わった。野末陳平著による『姓名判断』によると、総画数が劇的に良くなった。「天才狂人運」から「実力人間運」への鮮やかな変身である。ありがとう、オット。
というわけで、ペンネームはべつにつけなくてもよかったのだが、念には念を入れて、下の名前を平仮名にした。「才女賢女運」になる、というのもあるが、それより大きな理由は、わたしが小説を書いていることを、いままで多少なりとも縁のあったひとたちに知られたくなかったからだ。姓が変わってもばれると思った。「香純」は、なぜか、忘れがたい名前のようなのだ。
もとより小説を書くのは恥ずかしい行為だと思っている。決して自分自身のことを書いているわけではないのだが、それでも「自分」が漏れ出てしまう。体液のようなものをわたしはイメージする。いわば「自分汁」だ。さらさらしている場合もあるし、粘り気がある場合もある。
「かっぱのかーすけどんどん、馬のけつ」が自分汁をほとばしらせて小説を書くなんて、恥ずかしいことこの上ない、と考えた。無愛想で堅苦しかった「ナベちゃん」が、知ったふうな恋愛小説を書くことを、わたしは、かつて勤めたバイト先の上司や同僚に知られたくなかった。
しかし、だ。新人賞を受賞したら、そんなことはどうでもよくなった。驚くなかれ、次作を書く、ということ以外は瑣末な事柄になった。いまでも小説を書く行為は恥ずかしいと思っているが、「かっぱ」とか「ナベちゃん」と呼ばれていた一時期を隠したいとは思わなくなった。だからといって、むかし知り合いだったよしみで本を買ってくれとも思わないが、出身は、小樽市立入船小学校でしたといちおう書いておく。1967年に、「かっぱのかーすけどんどん、馬のけつ」と囃し立ててわたしを泣かせた、なかさとこういちくん、お元気ですか?
渡辺香純なのだった。とくにわるくないのでは? と思われるかたもいらっしゃるかもしれない。しかし、わたしが生まれたのは1960年。女子の名前は「子」のつくものが一般的だった。
就学年齢に達する時分に直面したのが、略称問題だった。愛称問題と換言してもいい。わたしには、愛称がなかなかつかなかった。
女子の場合、下の名前の上ひと文字かふた文字を取り、そこに「ちゃん」をくっつけるのがオーソドックスな方法である。ところが、わたしは、ひと文字取ったらカーちゃんとなり、ふた文字取ったらカスちゃんになってしまう。カーちゃんはあんまりだからということで(カスちゃんは論外)、カッちゃんと呼ばれかけた時期があった。これをわたしはけっこう断固として拒否した。カッちゃんには男子っぽい響きがあると思ったのだ。
あいにくわたしはディズニー・プリンセスが着るようなドレスに憧れを抱く女子だった。トンボの羽みたいに透き通った生地のショールを肩にかけ、長くて白い手袋をはめ、高々と髪を結い上げお城の舞踏会に出席したいと夢想していた。なのに、わたしは親の好みにより、髪型をベリーショートにさせられていた。すそも刈り上げ気味だったし、耳に髪の毛がちょっとでもかぶさったら、「そろそろ床屋にいかないとな!」といわれていたのだ。
髪が短いばっかりに男子と間違われるのを哀しく思っていたところへ持ってきて、もしもカッちゃんという愛称が定着したら、一巻の終わりだと考えた。金輪際、舞踏会には招かれないだろうというような、暗澹たる思いだった。
暗澹たる思いに駆られたことはまだあった。あだ名をつけられたのだった。小1のときだ。同じクラスの腕白坊主が口火を切った。最初は囃子詞だった。「かっぱのかーすけどんどん、馬のけつ」というものである。意味が分からない。だからこそ独特の勢いがあったようで、男子どもが面白がった。「馬のけつ」は「尻のあな」に転じる場合もあった。いずれにしても肛門周辺の話だった。
家に帰って、わたしは泣いた。わけを訊ねる母に、学校でこんなに酷いことをいわれた、と申し立てた。母は、優しく慰めようとしたらしいのだが、「気にしなくていいから」というそばから吹き出したので、助けにはならなかった。そればかりか、仕事を退けて帰ってきた父に、いそいそと報告した。ふたりはわたしの眼前でひとしきり笑い合った。父がお腹を抱えながらこちらを見向き、「よう大将、たいへんだったな」と軽口をきく。わたしはまたぶり返したように泣いた。ごはんの時間になってもめそめそしていたら、母に「景気がわるい」と叱られた。世界じゅうにわたしの味方などひとりもいないと思ったものだ。
そのうち、わたしのあだ名は「かっぱ」になった。「馬のけつ」よりはましだが、承服できるはずがない。わたしには、「かっぱ」の要素はなにもないというのがその理由だ。ただ、名前に「か」がつくだけではないか。理不尽だったが、このあだ名は小学校を卒業するまでひそやかにつづいた。
中高短大と名前に関しては平穏な日々を送った。異変が起こったのは、バイトをするようになってからだ。中年の男性に「ナベちゃん」と呼ばれるようになった。渡辺だからだ。会費の安い宴会で、白菜ばかりが幅を効かせる、なに鍋ともつかない鍋が出てくると、「わたナベだ、わたナベ」といわれ、対応に苦慮した。にもかかわらず、おじさんたちは「ほら、ナベちゃん。わたナベ」と、しつこいのだった。
かれらはわたしが「もう、やめてくださいよう」と笑いながらプンスカ怒るのを期待していたのかもしれない。しかし、当時のわたしはそういうことができるほどには、熟れていなかった。わざとらしい失笑を浮かべ、「だから?」と呟いた覚えがある。和気あいあいとしたムードを壊してしまい、済まなかった。
転機を迎えたのは、やはり結婚だった。姓が変わった。野末陳平著による『姓名判断』によると、総画数が劇的に良くなった。「天才狂人運」から「実力人間運」への鮮やかな変身である。ありがとう、オット。
というわけで、ペンネームはべつにつけなくてもよかったのだが、念には念を入れて、下の名前を平仮名にした。「才女賢女運」になる、というのもあるが、それより大きな理由は、わたしが小説を書いていることを、いままで多少なりとも縁のあったひとたちに知られたくなかったからだ。姓が変わってもばれると思った。「香純」は、なぜか、忘れがたい名前のようなのだ。
もとより小説を書くのは恥ずかしい行為だと思っている。決して自分自身のことを書いているわけではないのだが、それでも「自分」が漏れ出てしまう。体液のようなものをわたしはイメージする。いわば「自分汁」だ。さらさらしている場合もあるし、粘り気がある場合もある。
「かっぱのかーすけどんどん、馬のけつ」が自分汁をほとばしらせて小説を書くなんて、恥ずかしいことこの上ない、と考えた。無愛想で堅苦しかった「ナベちゃん」が、知ったふうな恋愛小説を書くことを、わたしは、かつて勤めたバイト先の上司や同僚に知られたくなかった。
しかし、だ。新人賞を受賞したら、そんなことはどうでもよくなった。驚くなかれ、次作を書く、ということ以外は瑣末な事柄になった。いまでも小説を書く行為は恥ずかしいと思っているが、「かっぱ」とか「ナベちゃん」と呼ばれていた一時期を隠したいとは思わなくなった。だからといって、むかし知り合いだったよしみで本を買ってくれとも思わないが、出身は、小樽市立入船小学校でしたといちおう書いておく。1967年に、「かっぱのかーすけどんどん、馬のけつ」と囃し立ててわたしを泣かせた、なかさとこういちくん、お元気ですか?

2012/02/10 05:46:22
公演中止から10ヶ月、『戯伝写楽』の特別な五日間
2012/02/09 23:46:43
ネットカフェ、2300円。
2012/02/07 06:54:01
恋愛禁止もガマン/だってAKB48だから
2012/02/07 05:39:35
「福島の子どもたちからの手紙~ほうしゃのうっていつなくなるの?」発売します。
2012/01/29 10:05:02
期間限定!元・朝日新聞東京本社編集局長・外岡秀俊氏による文章教室、開校。
2012/01/23 10:20:44
AERA English 2012年3月号の内容は!
2012/01/22 14:19:12
16、「年賀状」考
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