ちび
身長145センチだ。物心がついて以来、ちびとして生きてきた。ちょっと嘘だ。客観的に見てちびであるなあ、とは気づいていたが、それだけだった。というのもちょっと嘘で、気がついたら相当ちびだったという具合。未熟児すれすれで生まれてから、ずうっと小さかったので、自分のなかでは「こんなもの」と理解していた。
ちびに気づいたのは小学校2年生のときだ。入学してきた1年生たちがことごとく自分よりも背が高いのを不思議に思った。身長は年齢に比例すると、ごく単純に、そう考えていたのであろう。わたしの入学時の身長はたしか1メートルもなかったはずだが、それでも少しは伸びていたし、なによりわたしは上級生として「小さな」1年生たちの世話を焼いてみたかったのだ。
「いちねんせいは、いちねんせいなのに、なぜ、わたしよりもせがたかいんですか?」 こんなことを質問された担任の先生はさぞびっくりされただろうが、そんなようすはけぶりも見せなかった。
「かすみちゃんは、からだは1年生よりも小さいけれど、心は大きいんですよ」
という主旨の答えを聞き、たいへん満足した。そうか、わたしは心が大きかったのか、と初めて知った事実に気分がかなり高揚した。急いで下校し、京子(実母)に教えたら、京子は台所をやっていた手を止めて、
「学校の先生はうまいことをいうねえ」
とへんな感心の仕方をしたので、ぜんぜん分かってないと思った。その後少しのあいだ、わたしがいうことをきかなかったり、弟とけんかしたら、「心の大きなひとがすることではないのでは?」というような内容の注意をするのが京子のなかでブームになったらしく、面倒なことになったなあという気持ちでいっぱいだった。
とはいえ、「心の大きさ」は、けっこう長く、わたしの胸のうちで最大の長所と位置づけられた。つまり担任の先生がいったことを真に受けたわけだった。
これにはよい面とわるい面がある。先生に質問するまで、わたしは、背が低いことが(他人よりも)劣っている点、だとは考えていなかったのだ。繰り返しになるが、ただ単純に不思議だっただけだ。心が大きいんですよ、と励まされて、自分の「劣っている点」にようやく気づいたのだった。しかもそれは「目に見えるもの」だった。隠しようがない。
うがった見方をすると、「目に見える難点」を「目に見えない美点」でチャラにしようとする方向にわたしは一歩踏み出したといえる。劣等感のあけぼの期といえるかもしれない。「目に見える難点」はけっこう手強い。
すごく残念だったのは、学年が上がるにつれ、「目に見える難点」が増えていったことだった。算数と音楽と体育ができなかった。皆でなにかをやる、という行為がどうにも苦手で、というよりいやでいやで仕方なくて、班ごとに集まって展示物を作成する折に居眠りし、軽く問題になったこともある。協調性が低いのは、背が低いよりもゆゆしき問題だ。ちなみに協調性はいまでも高くない。皆でなにかをやる、という行為はむしろ好きになったが、そこでどう振る舞うのが正解なのかよく分からない部分がある。
でも、基本的に心は大きいので。そう思ってはみるけれど、実際、そうでもないのは知っていたから、夜更けに、ベネチアンガラスの首飾り(だれかからもらったおみやげ・当時の超お気に入り)をさげ、窓辺に寄ってため息をついたりした。机に戻って、ステンドガラス風の燭台に載った素敵なキャンドル(クリスマス時になにかを買ったときにもらったおまけ・これも当時の超お気に入り)に火をともし、じっと見つめたものだった。ある程度気がすんだら、息を吹きかけ、キャンドルの炎を消すのだが、ある夜、強く息を吹きかけすぎて、溶けた蝋が顔面に飛んできたことがあった。熱くて、痛くて、情けなくて、泣きそうになった。乾き始めた蝋を眉毛から剥がしながら、「あたしにはいいとこなんてひとつもない」と悲観したものだ。悲観というより、なにかこう、勢いがついた、という感じだろう。勢いがつかないと悲観的にはなれない質なのだ。
「目に見える難点」が増えていっても、じつは、劣等感はあけぼの期のままだった。他人よりできないこと、劣っている点が多いとどんどん気づいていっただけ、のような気がする。いちおう思春期だったし、元来、夜更けに窓辺に寄りがちなところがあったので、つい気分が出てしまったのではないか。
当たり前だが、いまでも、ひと目で分かる、たとえ努力をしたとしても改善できないタイプの、わたしの他人より劣っている点は「ちび」だ。たしかに、見知らぬひとから「おい、そこのちび」といわれたらむっとするし、洋服屋さんや靴屋さんでサイズの合ったものを探すのは苦労する。電車に乗ったらつり革にようやっと手が届くくらいだし、飛行機の荷物入れに荷物を入れるのもたいへんだ。
でも、唐突にちび呼ばわりするのはだれがなんといっても失礼なひとなのだし、サイズの合ったものはかならず見つかる。足を踏ん張っていればつり革に捕まらなくても平気だし、飛行機にはCAがいる。運転免許も取れるし、披露宴で貸衣装のウエディングドレスも着られる。花魁かよ、というくらい高いヒールの靴を履かなきゃいけないけど。
全国の150センチ未満のちびの皆さん、だから、だいたい大丈夫。もしも大丈夫じゃないときには、わたしがいることを思い出してくださいね。心はそんなに大きくないけど、ほがらかなちびがここにいます。あと、老婆心ながら、ちびをカワイイといいかえられても勘違いしないほうがいいのではないかと申し添えます。ちびは、ちびのまま、受け入れたい。
ちびに気づいたのは小学校2年生のときだ。入学してきた1年生たちがことごとく自分よりも背が高いのを不思議に思った。身長は年齢に比例すると、ごく単純に、そう考えていたのであろう。わたしの入学時の身長はたしか1メートルもなかったはずだが、それでも少しは伸びていたし、なによりわたしは上級生として「小さな」1年生たちの世話を焼いてみたかったのだ。
「いちねんせいは、いちねんせいなのに、なぜ、わたしよりもせがたかいんですか?」 こんなことを質問された担任の先生はさぞびっくりされただろうが、そんなようすはけぶりも見せなかった。
「かすみちゃんは、からだは1年生よりも小さいけれど、心は大きいんですよ」
という主旨の答えを聞き、たいへん満足した。そうか、わたしは心が大きかったのか、と初めて知った事実に気分がかなり高揚した。急いで下校し、京子(実母)に教えたら、京子は台所をやっていた手を止めて、
「学校の先生はうまいことをいうねえ」
とへんな感心の仕方をしたので、ぜんぜん分かってないと思った。その後少しのあいだ、わたしがいうことをきかなかったり、弟とけんかしたら、「心の大きなひとがすることではないのでは?」というような内容の注意をするのが京子のなかでブームになったらしく、面倒なことになったなあという気持ちでいっぱいだった。
とはいえ、「心の大きさ」は、けっこう長く、わたしの胸のうちで最大の長所と位置づけられた。つまり担任の先生がいったことを真に受けたわけだった。
これにはよい面とわるい面がある。先生に質問するまで、わたしは、背が低いことが(他人よりも)劣っている点、だとは考えていなかったのだ。繰り返しになるが、ただ単純に不思議だっただけだ。心が大きいんですよ、と励まされて、自分の「劣っている点」にようやく気づいたのだった。しかもそれは「目に見えるもの」だった。隠しようがない。
うがった見方をすると、「目に見える難点」を「目に見えない美点」でチャラにしようとする方向にわたしは一歩踏み出したといえる。劣等感のあけぼの期といえるかもしれない。「目に見える難点」はけっこう手強い。
すごく残念だったのは、学年が上がるにつれ、「目に見える難点」が増えていったことだった。算数と音楽と体育ができなかった。皆でなにかをやる、という行為がどうにも苦手で、というよりいやでいやで仕方なくて、班ごとに集まって展示物を作成する折に居眠りし、軽く問題になったこともある。協調性が低いのは、背が低いよりもゆゆしき問題だ。ちなみに協調性はいまでも高くない。皆でなにかをやる、という行為はむしろ好きになったが、そこでどう振る舞うのが正解なのかよく分からない部分がある。
でも、基本的に心は大きいので。そう思ってはみるけれど、実際、そうでもないのは知っていたから、夜更けに、ベネチアンガラスの首飾り(だれかからもらったおみやげ・当時の超お気に入り)をさげ、窓辺に寄ってため息をついたりした。机に戻って、ステンドガラス風の燭台に載った素敵なキャンドル(クリスマス時になにかを買ったときにもらったおまけ・これも当時の超お気に入り)に火をともし、じっと見つめたものだった。ある程度気がすんだら、息を吹きかけ、キャンドルの炎を消すのだが、ある夜、強く息を吹きかけすぎて、溶けた蝋が顔面に飛んできたことがあった。熱くて、痛くて、情けなくて、泣きそうになった。乾き始めた蝋を眉毛から剥がしながら、「あたしにはいいとこなんてひとつもない」と悲観したものだ。悲観というより、なにかこう、勢いがついた、という感じだろう。勢いがつかないと悲観的にはなれない質なのだ。
「目に見える難点」が増えていっても、じつは、劣等感はあけぼの期のままだった。他人よりできないこと、劣っている点が多いとどんどん気づいていっただけ、のような気がする。いちおう思春期だったし、元来、夜更けに窓辺に寄りがちなところがあったので、つい気分が出てしまったのではないか。
当たり前だが、いまでも、ひと目で分かる、たとえ努力をしたとしても改善できないタイプの、わたしの他人より劣っている点は「ちび」だ。たしかに、見知らぬひとから「おい、そこのちび」といわれたらむっとするし、洋服屋さんや靴屋さんでサイズの合ったものを探すのは苦労する。電車に乗ったらつり革にようやっと手が届くくらいだし、飛行機の荷物入れに荷物を入れるのもたいへんだ。
でも、唐突にちび呼ばわりするのはだれがなんといっても失礼なひとなのだし、サイズの合ったものはかならず見つかる。足を踏ん張っていればつり革に捕まらなくても平気だし、飛行機にはCAがいる。運転免許も取れるし、披露宴で貸衣装のウエディングドレスも着られる。花魁かよ、というくらい高いヒールの靴を履かなきゃいけないけど。
全国の150センチ未満のちびの皆さん、だから、だいたい大丈夫。もしも大丈夫じゃないときには、わたしがいることを思い出してくださいね。心はそんなに大きくないけど、ほがらかなちびがここにいます。あと、老婆心ながら、ちびをカワイイといいかえられても勘違いしないほうがいいのではないかと申し添えます。ちびは、ちびのまま、受け入れたい。

2012/02/10 05:46:22
公演中止から10ヶ月、『戯伝写楽』の特別な五日間
2012/02/09 23:46:43
ネットカフェ、2300円。
2012/02/07 06:54:01
恋愛禁止もガマン/だってAKB48だから
2012/02/07 05:39:35
「福島の子どもたちからの手紙~ほうしゃのうっていつなくなるの?」発売します。
2012/01/29 10:05:02
期間限定!元・朝日新聞東京本社編集局長・外岡秀俊氏による文章教室、開校。
2012/01/23 10:20:44
AERA English 2012年3月号の内容は!
2012/01/22 14:19:12
16、「年賀状」考
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