2012年01月15日

親の死に目に会いたい

壁は「職場の無理解」と「自分のためらい」

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編集部 古川雅子、野村昌二


「ここ数日、食欲が急に落ちてきて......食べ物がのどを通らないみたいなのよ」

 おろおろと伝えてくる母の声が、今も耳に残っている。

 7年前、大学教員の女性(45)は、肝臓の病気で長患いしていた父の容体が芳しくないと母から電話を受けた。父は当時65歳。肝硬変の末期でその半年前に一度入院し、症状が持ち直してからは自宅で療養していた。それは、病院が嫌いな父の意向でもあった。

 女性は一人っ子。実家は都内の自宅から電車で1時間半ほどの距離だが、母から電話を受けたのは運悪く、仕事を手放して駆けつけるのが難しい時期だった。年に2回の期末業務の真っ最中。目の前には採点すべき期末テストの山が積み上がっていたし、その結果をもとにつける成績の期限も延ばせない。

 父の調子が悪いという母からの電話は何度かあったが、「なんだか」「なんとなく」という母親の口調からは、今すぐにでも来てという緊迫感は感じられなかった。

 週末は授業の準備に時間を取られ、平日も片道2時間近い通勤に疲れ果てていた。見舞いに行けない状態が続いたが、

「夏の暑さで弱ったのかも」

 と、さすがに心配になった。一人で看病する母も元気づけてあげたかった。数日の徹夜をはさみ1週間で何とか期末業務を片付け、実家へ駆けつけた。

 だが、父の顔を見た瞬間、血の気がひいた。やせ細り、声は聞き取れないほどかすれて黄疸が強く、2カ月前に会った時とは全然違った。

「苦しそう。お父さん、病院嫌だと思うけれど、救急車呼ぶからね!」

 救急車を待つ10分の間に、父は女性の目の前で息絶えた。

 その後、女性は、自分を責め続けた。死が迫っていたことになぜ気づかなかったのか? 親の最期が迫っていても駆けつけられない働き方って何?

 企業のデザイン部門で長く働いてきた女性(51)も、母の死後、働き続けることに罪悪感を持った。仕事はクリスマスなどの装飾を百貨店などの店先に飾る「ディスプレーコーディネーター」。母の容体が悪化した頃は、ちょうど会社のデザイン部門が廃部になって退職し、独立したばかり。個人で受けた仕事を人に振ることはできなかった。

 それでも、仕事の合間を縫って東京から親元の長野まで、長距離バスで日帰り帰省を繰り返した。片道2時間半。朝9時のバスに乗れば11時半に病院の前に着く。一日母との時間を過ごし、午後5時にまた病院の前からバスに乗って、7時半に帰京する日々。

 いよいよ危ないとなってからは病院に泊まり込んだが、残された時間は少ないと知りながら、仕事のために2日だけ長野を離れた。その仕事を終えて、予約してあったバスに乗ろうと家を出た直後、母の臨終の報せを受けた。

 親と仕事を天秤にかけてしまった。わずかな期間なのに、仕事を手放すことをためらったのは自分じゃないか。30年近く続けた愛着のある職業だったが、自責の念から、その後しばらく仕事ができなくなったーー。

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